ラ・ベンタ遺跡公園(2)巨石人頭像の謎
ラ・ベンタ遺跡公園展示品紹介の続き。オルメカ文明と言えば、の巨大な頭の像についてまとめました。
前回の記事はこちら。
ラ・ベンタ遺跡公園(1)「歩く人」「髭の男の石碑」
目次
ラ・ベンタ遺跡公園の巨石人頭像 3体
このラ・ベンタ遺跡公園には、3つの巨石人頭像が展示されていました。
モニュメント3:若い戦士の頭 高さ1.98m 重さ12.8トン (Monumento 3 / Cabeza del joven guerrero) |
モニュメント4:老いた戦士の頭 高さ2.26m 重さ19.4トン (Monumento 4 / Cabeza del viejo guerrero) |
モニュメント1:戦士の頭 高さ2.41m 重さ24トン (Monumento 1 / Cabeza del guerrero) |
「若い」とか「老いている」とかは、個人的にはあんまり感じ取れませんでした。ほうれい線が濃いとか、そういう感じなんでしょうか。
ラ・ベンタからは4体の像が発見され、モニュメント1〜4と名付けられています。こちらの遺跡公園にはモニュメント1,3,4が展示されていて、モニュメント2の人頭像は下記の博物館に展示されているようです。
https://tabasco.gob.mx/museo-regional-antropologia-carlos-pellicer-camara
入場料:22ペソ
ラ・ベンタ遺跡公園からすぐ近くにあるのでできれば行きたかったのですが、月曜が休館日だったため諦めました。残念。
これまでに17体発見されている
巨石人頭像は玄武岩と呼ばれる火山岩の一種でつくられており、これまでに17体が以下の場所で見つかっています。
- 10体 … サン・ロレンソ(オルメカ文明で最初に栄えた場所。紀元前1200年頃〜)
- 4体 … ラ・ベンタ(サン・ロレンソ衰退後に中心地に。紀元前850年頃〜)
- 2体 … トレス・サポテス(ラ・ベンタ衰退後に発展。紀元前450年頃〜)
- 1体 … コバタ(紀元前1200年〜400年頃)
オルメカ文明の初期に多くつくられたんですね。大きさは、小さいもので147cm、大きいもので340cm。
驚くべきことに、この石、発見地の近くからは採掘できないのです。サン・ロレンソからは60km、ラ・ベンタからは100kmも離れた採石場から運ばれたと考えられています。20トンもの巨石を一体どうやって…。
メソアメリカでは、車輪は実用目的では用いられませんでした(車輪のついたおもちゃはある)。なので、人力で押したり、川を使ったりして(いかだで?)運んだようです。それにしてもこの重さなので、相当の人手が必要だったと思われます。王の絶対権力を感じます。
巨石人頭像の謎
「支配者の肖像」説が有力
この像が何を表しているかについてはこれまでに数々の説が唱えられてきたようですが、現在では支配者の肖像だという説が一番有力だとされています。というのもこれらの人頭像、村の境界地点に埋められていたんだそう。村の境界に支配者の像を置くことで、誰がこの村の支配者なのかを示していたのではないかと考えられています。(発見時には埋められていたので、実際にどこに置かれていたかは謎ではありますが)
その他にも、以下のような説があったそうです。
- 当時信仰されていた神では?
- 像がヘルメットを身につけており、顔には傷つけられた痕もあることから、生贄として打ち首にされた球技のプレイヤーを表しているのでは?
- 顔の特徴がネグロイド的だから、オルメカ人の起源はアフリカなのでは?
しかし現在ではいずれも否定されているとのこと。
まず人頭像はすべてが異なる顔を持っており、特定の神であるとは考えにくい。また、人頭像の中には笑顔の表情のものがあり、打ち首にされた人間の顔ではないだろうと。ヘルメットは権力の象徴だということです。
オルメカの起源がアフリカにあるという説は、現在まで根拠となるものは見つかっていないようです。
コバタで見つかった人頭像は唯一目をつぶっていますが、その謎は未だ解き明かされていません。
顔の特徴はジャガー信仰の表れ
先ほど顔がネグロイド的と書きましたが、人頭像は特徴的な顔だちをしています。
- 中央に寄っている瞳
- 低い鼻
- 口角が下がったへの字形の口
これらはすべて、ジャガーの顔の特徴を反映したものだと言われています。オルメカ文明では、ジャガーを神聖な存在として崇拝していました。支配者の像をジャガーに似せてつくらせ、支配者をジャガー化=神聖化する目的であったと考えられます。
人頭像以外にも、オルメカ文明の出土品にはジャガーを象徴した美術が多く見られます。
支配者の死後、人頭像は傷つけられた
すべての人頭像には、自然に生じた凹凸とは別に人工的に傷つけられた跡があります。特に鼻の部分。これは支配者の死後、支配者のエネルギーが乗り移っていると考えられた人頭像にもその力を失わせるため、つけられた傷だそうです。
損傷の大部分が鼻に集中しているのは像の呼吸能力を奪うため。人々は石を打ちつけて支配者像の息の根を止め、横たえた状態で地中に埋めたようです。
ところで、どの像にも損傷はあるものの、その度合いには幅があります。先生が言うには、憎まれた支配者ほどひどく傷つけられたために損傷が激しく、愛された支配者ほど損傷が少ないのではとのことでした。嫌な支配者ほど、その嫌なエネルギーも激しく奪う必要があったということでしょうか。オルメカは高度な文字がまだ発達していない時代なので確かな根拠を挙げるのは難しいと思いますが、納得感のある説です。
下は、メキシコシティの国立人類学博物館に展示されている人頭像(Monumento 2 de San Lorenzo)。サン・ロレンソから発見されたもので、17体のうち最も損傷が激しいものだそうです。
この像の裏面には、人が上に登るために彫られたかのような階段状の四角い穴が見られます。支配者は時に自分の像に上り、スピーチをしたり儀式をおこなったりしていたのかもしれません。
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※本文中の展示品についての記述は、メキシコの大学で受けたメソアメリカ美術の授業内容に基づいています。