レイナ・ロハとパカル王の墓〜パレンケ遺跡訪問記(2)赤の女王の神殿、碑文の神殿、頭蓋骨の神殿
メキシコ南東部チアパス州にあるマヤ文明の遺跡パレンケ。5世紀に成立し、7世紀に最盛期を迎えた都市です。
1952年、碑文の神殿と呼ばれるピラミッドからパカル王の墓が発見されたことで一躍注目を浴びました。
また1994年、赤の女王(レイナ・ロハ)と呼ばれる女性の遺骨も発見されています。
この記事では、パレンケ遺跡の赤の女王の神殿、碑文の神殿、頭蓋骨の神殿について紹介します。
パレンケ遺跡の概要や行き方、ツアーについては前回の記事をご覧ください。
訪問日:2019年7月、12月
目次
レイナ・ロハの墓/赤の女王の神殿(神殿13)
パレンケ遺跡に入ってすぐ、頭蓋骨の神殿の隣にあるのが赤の女王の神殿です。(Templo XIII / Templo de la Reina Roja)
内部にはさらに2つの神殿があり、その上に増設されたものだそうです。
屋根のある部分から内部に入って墓室を見学できる |
1994年、ピラミッド内部から石棺と女性の遺骨が発見されました。
石棺内は辰砂(しんしゃ)と呼ばれる真っ赤な有毒鉱物(硫化水銀)の粉で一面覆われていたため、この女性は赤の女王(Reina Roja/レイナ・ロハ。スペイン語で「赤の女王」の意)と呼ばれています。
神殿内の廊下。写真右側が外から神殿への入口。左側に3つの墓室があります。
3つのうち中央の墓室で、赤の女王の石棺が発見されました。
石棺内には、赤の女王の遺骨と一緒にヒスイを中心とした豪華な副葬品が埋葬されていました。
画像出典:Arqueología Mexicana |
豪華な装飾に加え、遺骨の頭蓋にはマヤの貴族階級に属する人々がおこなっていた頭蓋変形(*)の形跡が見られたこと、墓室内には一緒に埋葬されたと思われる女性と子どもの生贄の人骨も発見されたことから、かなり地位の高い女性だと考えられました。
マヤの貴族階級(支配者層)の人々は、額を平らにして頭部を長くするような頭蓋変形をおこなっていました。赤ちゃんの頃に、頭を理想の形になるよう木で挟むなどして変形させます。マヤの遺跡に描かれている人々の多くは頭蓋変形を施しており、彼らが高位の階級であることを示しています。
支配者層が頭部をこのように変形させた理由は、それが美しい形だと考えられていたから。その形は、マヤ神話で人間の起源とされるトウモロコシ神の美しい形と考えられていたのでした。
この女性はパカル王の母もしくは妻であろうと考えられていましたが、これまでの研究と遺骨の DNA 解析により、現在ではパカル王の妻(Tz'ak-b'u Ajaw/ツァクブ・アハウ)であると考えられています。遺骨の解析の結果、パカル王との血縁関係がなかったことが示されたようです。
パカル王(603年生まれ、在位615 - 683年)は80歳という記録的な長寿でしたが、この女性は50〜60歳前後で亡くなったと考えられています。
発見時はバラバラだった副葬品は、このように修復されています。マスクは119個の破片にわかれており、修復には9ヶ月かかったとのこと。
画像出典:BBC News Mundo |
パレンケ遺跡博物館にもマスクの展示がありましたが、こちらはレプリカっぽい感じがする。
※2021年にパレンケ遺跡博物館に赤の女王コーナーが開設されたようで、現在はもっと充実した展示を見ることができると思います。
※2023年6月16日(金)~9月3日(日)東京国立博物館で、特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」が開催されます。赤の女王が初来日の予定です。
※追記:特別展「古代メキシコ」に行ってきました! 赤の女王の展示、すごく良かったです。
赤の女王の歯には、健康的な良い食事をしていた虫歯の痕跡などが見られるそうです。この点も女性の身分の高さを示しています。
マヤ遺跡では、この赤の女王以外にも辰砂で覆われた支配者層のお墓がいくつか発見されています。
辰砂は希少性が高く、その利用は高い社会的地位を示します。貴族など身分の高い重要人物の葬儀など、限られた場合にのみ使われました。
葬儀に用いられたのは、辰砂の赤色が血(生命)を象徴する色と考えられていたため、また遺体の保存のために用いられたとも考えられます。
辰砂については、こちらが参考になります。スペイン語で Cinabrio と言います。
Cinabrio | Arqueología Mexicana
こちらはメキシコシティで展示があった際の画像。
以下サイトで、石棺内の他の写真や副葬品を見ることができます(記事はスペイン語です)。
以下の記事で紹介している神殿14の石板にも赤の女王は描かれています。ここではパカル王の妻としてではなく、息子カン・バラム2世の母として登場しています。
パカル王の墓/碑文の神殿
赤の女王の神殿の隣にあるのが、あのパカル王の墓が見つかった碑文の神殿。(Templo de las Inscripciones)
神殿内の石板に大量の碑文(マヤ文字)が刻まれていたことから、この名がついたとのこと。そこにはパレンケの歴史が綴られていたようです。
王墓発見の詳細については前回の記事をご覧ください。
現在登ることはできません。内部の墓室の見学も不可。
パレンケ遺跡博物館とメキシコシティの人類学博物館に、墓室と石棺のレプリカが展示されています。
パレンケ遺跡博物館の展示より |
王の石棺がおさめられていた墓室は、神殿の床から階段でつながった地下にありました。通路を埋め尽くしていた石を4年かけて取り除き、発見に至ったとのこと。
パレンケ遺跡博物館の展示より |
実際に見ると、どれだけの規模かがわかります。とても大きいです。
この巨大な石棺を神殿から地下に運び込むことは不可能。まず墓室を先につくり石棺を配置したあとで、神殿を建設したと考えられます。碑文の神殿は、パカル王の跡を継いだ息子カン・バラム2世の時代に完成したようです。
こちらはメキシコシティの人類学博物館にある墓室と石棺の展示。
メキシコシティ人類学博物館の展示より |
とにかく規模がすごいです。大きさもすごいし、造形の繊細さもすごい。
石棺を囲む墓室の壁には、9人の夜の支配者(後述)が彫られています。
パカル王もヒスイの豪華な副葬品とともに埋葬されていました。副葬品は、メキシコシティ人類学博物館に展示されています。
メキシコシティ人類学博物館の展示より |
赤の女王と同様、副葬品の豪華さはその人物の身分の高さや富を示します。こちらの石棺も辰砂に覆われていたそうです。
また、パカル王の石棺で素晴らしいのが蓋のレリーフです。
画像出典:Arqueología Mexicana |
石棺を覆う1枚石のレリーフには、パカル王が地下世界の出入口(ワニの牙によって表現されている)から天上世界に上がっていく様子が描かれています。
パカル王の上部に彫られているのは、天上世界を支える聖なる樹セイバと、樹冠にとまるケツァール(創造の神 Itzamnaaj の象徴)。
この世界観と浮き彫り技術の素晴らしさ。最初に発見した考古学者はどれだけ驚き感動したことでしょうか。マヤの世界に引き込まれる人の多さにも納得です。
パレンケ遺跡博物館で展示されていたレリーフの説明。
発見時の写真やレリーフの図像は Arqueología Mexicana で確認できます。
石棺の壁面には、王の両親を含めた8人の歴代王(先祖)が彫られています。
歴代王の胴体は地面から生えるように描かれ、背中からはそれぞれ異なる種類の植物(実のなる木)が出ています。豊穣の象徴でしょうか。
パレンケ遺跡博物館の石棺レプリカ壁面の一部 |
また墓室の壁面には「9人の夜の支配者(Los nueve Señores de la Noche)」と呼ばれる9名の人物像が彫られています。
見にくいですが、下の写真で透明板に白線で描かれている人物です。
戦士の姿で表現されている彼らは、地下世界の番人です。
マヤを含め古代メソアメリカの世界観では、人間は死後、9層から成る地下世界に行くものとされていました。9人の番人が、亡くなったパカル王を永遠に守るガードマンとして描かれているんですね。
9人のうちの1人。右手に盾、左手に笏を持った戦士の姿。 パレンケ遺跡博物館の展示より |
頭蓋骨の神殿(神殿12)
パレンケ遺跡に入って右方、最初に目にすることになるのが頭蓋骨の神殿です。(Templo XII / Templo del Cráneo)
ピラミッド頂上にある神殿の根元に、ウサギの頭蓋骨のようなレリーフが残っていることからこの名がつけられました(現在は登ることができないため、近くでは見られません)。
レリーフ部分はこんな感じ。右側の写真はパレンケ遺跡博物館の展示です。
パレンケ(Palenque)は、マヤ語で Baak と呼ばれていました。
碑文には「骨」を意味する Baak がこのパレンケ王朝の名であると記され、「肉が剥ぎ取られた(骨の)ウサギ」のマヤ文字(象形文字)で表されていたそうです。
ピラミッド内部にはもう1つの建物が埋まっており、人骨や多数のヒスイ製品が見つかったそうです。
この神殿も、パレンケ王朝の重要人物を埋葬した建物であると考えられています。
※本文中の記述は、遺跡ガイドさんの説明、INAH(メキシコ国立人類学歴史研究所)発行のガイドブック、本文中に記載の参考サイトに基づいています。