『葬儀を終えて』古典的だけど裏切らない アガサ・クリスティの王道ミステリー
解説の方が「私のクリスティー・ベスト1」と推す、アガサ・クリスティの『葬儀を終えて』。
1953年に刊行されていて、アガサ・クリスティ作品としては44作目、ポアロものとしては25作目の小説です。
私の中でベスト1かというとそこまでではないかなぁという感じですが、読者を惑わせながら話が展開し、意外な犯人にびっくりする王道のミステリー。面白いです。
最初に読んだのは数年前でしたが、久しぶりに再読してみました。
2020年に新訳版が出ているようですが、最初に読んだのも今回読み直したのも2003年に発行された加島祥造さん訳のものです。
目次
『葬儀を終えて』あらすじ
資産家の当主リチャード・アバネシーが急死した。
医者から「長くはない」とは言われていたものの、いますぐポックリいくとは思われなかった。
リチャードの屋敷には、葬儀に訪れた親戚たちが集まった。リチャードの兄弟と甥姪、そして配偶者たち。彼らは、リチャードが遺した莫大な遺産の相続者たちだった。
屋敷で夕食を終えた相続者たちは、遺言執行者であるエントウイッスル氏から遺言の内容を発表される。
その直後、リチャードの末妹コーラが次のように言い放った。
「だって、リチャードは殺されたんでしょう?」
コーラはすでに49歳の小肥りの女になっていたが、子どもの頃から無邪気すぎて困ると言われていた。場違いで無邪気な彼女の言葉には、いつも真実性があったからだった。
そして葬儀の翌日、コーラは殺された。
手斧で顔をめちゃめちゃにされていた。
リチャードは本当に病死だったのだろうか。コーラは、あの発言のために殺されたのではなかろうか。
疑念を抱いたエントウイッスル氏は、友人であるポアロのもとを訪れた。
リチャードは殺されたんじゃなかったの——アバネシー家の当主リチャードの葬儀が終わり、その遺言公開の席上、末の妹のコーラが無邪気に口にした言葉。すべてはその一言がきっかけだったのか? 翌日、コーラが惨殺死体で発見される。要請を受けて事件解決に乗り出したポアロが、一族の葛藤の中に見たものとは?
『葬儀を終えて』(早川書房)
(解説:折原一)
『葬儀を終えて』読みどころと感想
原題は”After the Funeral”。以下、感想をまとめます。
「事件の鍵の一歩手前」に気づきやすい
この作品、犯人は間違いなく意外な人物だし最後の最後までわからないと思うのですが、事件の鍵的なものはわりと気づきやすいように描かれていると思う。
一番はこれ。
なぜ、コーラは手斧で顔をめちゃめちゃにされて殺されたのか?
普通に殺すだけなら毒殺とかもっと穏やかな別の方法でも良いはずだし、強盗目的なら殺す必要もない。
序盤でモートン警部がきちんと疑問を呈しているのでわかりやすいですね。
だからわざわざ殺さなくても、脅してもいいし、猿ぐつわをかませることだってわけなくできたはずなんです。それを、わざわざ手斧を外から持ち込んで凶行に及んだというのはどうもやりすぎのように......」
『葬儀を終えて』(58〜59ページ)
つまり、、、
犯人はコーラの顔を見られたくなかったのでは?
コーラの顔に、何かしらの痕跡が残されているのでは?
この点は読者にとって大いに推理の助けになると思う。
でもまぁ、その「顔を見られたくなかった理由」はわからないんですけどね。。
なので気づけるのは鍵というより「鍵の一歩手前」くらいですかね。
でもわからなくても、ポアロの謎解きを読んで「この点はやっぱり関係あったんだ!」というだけでもなんかうれしい。
もう1つの大きい鍵は、後半に出てくる鏡のエピソード。
鏡を通して目に映るものは、事実とは逆。
じゃあ、鏡に映っていたものは?
それが突き止められれば犯人に大きく近づきますが、わからないんですよねー。読み直すと、ちゃんと描写されてることに気づくんですけどね。なかなか結びつかない。
というわけで「鍵の一歩手前に気づく」と「犯人を推理できる」は同じではないんですが、読者が鍵に気づくことすらできないであろう事件も多々あるなかで、この事件は気づきやすいのかなと思う。
だから、謎解きを読んだときのなるほど感がより一層大きく感じられる作品なんじゃないかなと思いました。
上記の大きい2点以外にも、細かな伏線はいっぱいあって楽しめます。
ポアロのおもしろい発言
今回もポアロのおもしろい発言に楽しませてもらいました。
女性は、決して親切ではありません。ときどき優しいことはありますが。
『葬儀を終えて』(150ページ)
ポアロは何を思いながらこの発言をしたのでしょうか。
身に迫る教訓のように聞こえます。
私にもそんな女の経験があります。エッジウェアー卿の殺人事件、忘れもしないです。あの時、私は危く負けるところでした。このエルキュール・ポアロがですよ。誰に負ける? ロザムンドのようなからっぽの頭から出た非常に単純なずるさにね。
『葬儀を終えて』(251ページ)
言いたい放題のポアロ。
『エッジウェア卿の死』は確かに難事件でしたよね。好きな作品の1つです。
私は私なりに一応名の知れた人間でした。非常に有名だったと言ってもいいでしょう。事実、私の才能は無類のものであります!」
『葬儀を終えて』(403〜404ページ)
ジョージ・クロスフィールドがニヤリと笑っていった。
「そうでしょうとも、それでこそムッシュー・ポンじゃなかった、ムッシュー・ポアロ、だったね? しかし、あなたの名前を一度も聞いたことがないというのはちょっと不思議だな?」
「不思議ではありません」ポアロは厳しい声で応じた。「悲しむべきことです。
全く謙遜をしないいつものポアロ節も健在!
若者が自分の名前を知らないことを「悲しむべきこと」と言ってのけます。
このやりとりは、なんだか演劇を見ているようです。
アガサ・クリスティは戯曲も書いてますし、こういうのもうまいなーと思います。
まとめ:古典的な王道ミステリー
資産家の死に遺産相続というテーマは推理小説としてはわりと古典的な設定かなと思いますが、全くつまらなくない作品です。
ありがちな舞台設定でも、先の読めない展開で読者を飽きさせない。
そして意外な犯人と思いもよらない動機で読者の期待に応えるのは、さすがアガサ・クリスティだなと思います。
読者が推理できる伏線もきちんと整えられています。
(解けないけど)
非常に楽しめる1冊でした。
新訳版はこちらです。
疑問点と感想(ネタバレ含む)
ちょっとよくわからなかったのは、フェルメールの絵を上塗りしてポルフレクサンの波止場の絵を描いていたという部分。
美術評論家が絵を拭き取ると、フェルメールのオリジナルの絵が現れたということなんですが。
油絵ってそんな簡単に上塗りとか拭き取るとかってできるの?
しかもフェルメールの絵っていうすごく貴重であろう絵に上塗りとかして良いの?
フェルメールに波止場の絵があって、そこにちょこっと付け足したみたいな感じなの?
このあたりは詳しく描写されておらず、よくわかりませんでしたね。
(もしわかる方がいたら教えてください)
小説だからってことであんまり突っ込んじゃいけない部分なのかな?
ポルフレクサンの波止場ってどんなだろう? と気になって検索してみたんですがヒットせず。創作の地名だと思われます。
ちなみにフェルメールの風景画には「デルフトの眺望」と呼ばれる作品があるようです。フェルメールが生涯を過ごしたオランダの故郷とのこと。
Johannes Vermeer, Public domain, via Wikimedia Commons |
ポルフレクサンの波止場の絵は、こんな雰囲気の絵をイメージして良いんだろうか。わかりません。
この作品、読み進めるなかで私が着目したのは、コーラの家政婦ミス・ギルクリストが序盤からずっと存在感を持って語られていた点。
というのも、アガサ・クリスティの作品では使用人の類が容疑者に入ることは少ないから。この作品でも、リチャードの執事のランズコムや料理人、メイドは、最初の段階で「使用人たちではありません」とポアロが容疑者から外しています。
でも、ミス・ギルクリストはコーラの家政婦という立場ながら容疑者から外されず、最初に尋問を受けたときから最後の謎解きまでずっと存在している。
ちょっと珍しくない? ちょっと怪しくない??
そんな推理があっても良いかと思いました。笑