『ひらいたトランプ』容疑者は前科ありの4人~アガサ・クリスティ
久しぶりに、面白さで興奮したアガサ・クリスティ作品でした。
面白い作品はいろいろあるけど、「ほぼこの人が犯人なのね!」と思わせたところからここまで連続して驚かされると、一人で読みながら「えーっ!」と声を出してしまうのもしかたないと思う。
電車の中で終盤を読んでいたら乗り過ごし必至ですねこれは。
目次
『ひらいたトランプ』あらすじ
嗅煙草入れ展示会で、ポアロは偶然シャイタナ氏と出会った。
悪魔的容貌を持ち、皆から恐れられていながら素晴らしいパーティを開くという噂のシャイタナ氏は「あなたの専門のほうの、おもしろい収集品をお見せしますよ」とポアロをパーティに誘う。
犯罪の収集品とは何かと興味を持ったポアロが聞くと、シャイタナ氏はこう言った。
「ポアロさん、人殺しをやった人間たちですよ」
しかも、犯罪を犯して捕まったような二級品ではなく、巧みに逃げおおせた一級品の人間を集めるという。
約束の日時にポアロがシャイタナ氏のアパートを訪問すると、客は全部で8人いた。
ポアロのほかに集まったのは、女流探偵小説家のオリヴァ夫人に、警視庁のバトル警視、諜報局員であるレイス大佐。
そして中年の医者ドクター・ロバーツ、六十過ぎのお婆さんロリマー夫人、背の高い美男のデスパード少佐、二十歳を越えたばかりの美人ミス・メレディス。
つまり、広い意味での探偵4名と、シャイタナ氏の言う「人殺しをやった人間たち」4名だった。
食事を終えると、客たちは2つの部屋に分かれてブリッジを楽しんだ。シャイタナ氏はブリッジには加わらず、客間の椅子に座って勝負の声を聞いていた。
日付も変わりそろそろ客たちも帰ろうとしたとき、シャイタナ氏は刺殺体となっていた。「人殺しをやった人間たち」4名がブリッジに興じていたのと同じ部屋の片隅で。
ポアロたちは、ブリッジと過去の犯罪調査を通して、前科者たちのなかからシャイタナ氏を殺した犯人をあぶりだす。
名探偵ポアロは偶然から、夜ごとゲームに興じ悪い噂の絶えぬシャイタナ氏のパーティによばれた。が、ポアロを含めて八人の客が二部屋に分れてブリッジに熱中している間に、客間の片隅でシャイタナ氏が刺殺された。しかも、居合わせた客は殺人の前科をもつ者ばかり......ブリッジの点数表を通してポアロが真相を読む
解説:新保博久
『ひらいたトランプ』(早川書房 クリスティー文庫)
『ひらいたトランプ』読みどころと感想(ネタバレあり)
以下、一部ネタバレを含みます。
ブリッジは知的で社交的なゲーム
原題は“Cards on the Table”。なんか響きがかっこいい。
作品ではブリッジのゲームの様子も多く描かれていますが、ブリッジのルールがわからなくても推理小説としては面白い。
この小説に出てくるブリッジは「コントラクトブリッジ」というゲームで、原型は16世紀のイギリス発祥とのこと。知的で社交的なゲームらしい。
ブリッジはやったこともなく、読後にルールを調べてもよくわかりませんでした。笑
トランプゲームというと運の要素が強そうですが、ブリッジは運の要素が極力排除されるようルールが設定されているとのこと。
作中でも、ロリマー夫人が次のように言っていました。
せり(ビッド)を正確にすれば危険はないですよ。数学的な確率がありますからね。情けないことに、正しいビッドをする人って少ないわね。
『ひらいたトランプ』(148ページ)
勝つカードのある手札と、負けるカードのない手札という、この区別が頭の中でできなくなるんですよ
『ひらいたトランプ』(148ページ)
なるほど、つまり自分に配られたカードを見つつ相手のビッドから相手のカードを予測することで、どの程度勝てそうかは論理的に判断できるという理解で良いのか(めっちゃむずそう)。
加えて、ゲームの進行を見ながらどのカードを出すかを決めると。ゲームが進むにつれて相手のカードが見え始めてくるだろうことは想像できます。
トランプゲームに関しては『ラスベガスをぶっつぶせ』という映画で、超優秀な学生たちがカジノでブラックジャックのカウンティングをして勝つ様子を見ていたので、勝つためにどういう要素が必要なのかはなんとなくイメージできました。
まー、記憶力含めて頭が良くなきゃダメってことですね。
カウンティングとは、場に出たカードを覚える行為。覚えることで、まだ出ていないカードを予測する超高難度の技術。カジノでやると出禁になるらしい。
Aだと思ったらB、と思ったらC
この作品、犯人を当てられる人っているんでしょうか?笑
作品の序文で「この小説における読者の推理は、心理的方向をとることになる」と述べられていますが、正しく推理するのは9割9分無理な気がする。
難しすぎる。
ポアロはどの事件でも心理学的なアプローチを用いることが多いですが、それってやっぱり相当高度なことなんだと実感します。
ポアロはブリッジの点数表からもヒントを得ているので、ブリッジがわからないと推理面ではハンデを負うとは思います。でもたとえ点数表の読み方などを知っていたとしても、読者が犯人にたどりつくのは至難の業だと思われる。
犯人がAだと思わせる展開で、Bが自白。でも本当の犯人はC!
えー? ええーー?? ええええーーーー??? ですよ。
なんかもう、設定も、そう持っていく展開も秀逸すぎて。。ここまで読者を踊らせられたらアガサ・クリスティも本望すぎるでしょう。
自分の中でのアガサ・クリスティ作品上位入賞確定です。
ロリマー夫人に自白されたポアロが自分の考えとの相違に戸惑うセリフにも、いつものポアロ節がぎっしり詰め込まれていて満足満足。
「間違いのない人はいませんよ」ロリマー夫人がそっけなく答えた。
『ひらいたトランプ』(331~332ページ)
「私がいます」ポアロが言った。
「私はいつも間違いません。きまって私のほうが正しい結果になるので、自分ながら驚いています。
――中略――
この小さな善人が神かけて誓いますが――私はおかしくはありません! 私は正しいはずなのだ!
ポアロを知らない人が上記だけを聞いたら「この人何言ってるの?」と思われそうですが、導き出される結論は至って正常。
「誰でも自分の性格にないことはやれません」
この正当な論理性と、謙遜を知らないポアロ節との融合に、いつもながらなんとも言えない風情とユーモアを感じます。
探偵軍団、集結!
この作品が読者を惹きつけるもう1つの魅力は、アガサ・クリスティの探偵役が一挙に集合するところだと思う。(正確には探偵ではないけど、、)
特に私はオリヴァ夫人が好き。
アリアドニ・オリヴァ夫人は、私は『ポアロとグリーンショアの阿房宮』で読んだのが最初でした。この女流推理作家は、アガサ・クリスティ自身がモデルとされています。髪型へのこだわりに個性があって、非常に楽しい人柄。
この作品にはオリヴァ夫人が自分の作家業について語る部分があり、アガサ・クリスティもそんな風に思ってたのかなって考えるだけでも楽しい。
いや、違う。アガサ・クリスティが「読者からしたらアガサ・クリスティがこんなこと言っていたら面白いと思うだろう」と考えて言わせたように見えるところが、楽しい。
「小説が少しだれてきたら、だらっと血を流させれば引き締まりますよ」
「フィンランドのこと、あたし全然知らないでしょ。ところが、フィンランドからよく手紙がきて、その探偵の言動がおかしいだのなんだの言ってくるの」
「書くのってけっして楽じゃあないわ。他のことと同じように、辛い仕事なのよ」
「そこで、殺人をもう一つふやし、女主人公がもう一度誘拐されることにしなきゃあならない......こんなことって退屈な仕事よ」
アガサ・クリスティが言いそうでもあるし、そのようにわざとオリヴァ夫人に言わせているような気もするし。
レイス大佐は『ナイルに死す』などに登場。バトル警視は『七つの時計』などに登場しています。
まとめ:容疑者は挙がってるのに...
容疑者は4人だと最初から明らかにされているのに、ここまで犯人が読めない小説というのもすごいですよね。
この作品では、アガサ・クリスティが最初に述べているように「一番犯人っぽくないからこの人が犯人」というのが通用しないし、全員が怪しい。
ゆらぐ暖炉の光に照らされたシャイタナ氏の顔は微笑していた。
『ひらいたトランプ』(38ページ)
彼はいつまでも微笑していた。まぶたが小さく震えている。
彼には、このパーティがおもしろくてたまらないのだ。
この描写、こわ。この部分を読んだとき、私もオリヴァ夫人のように「あの四人とも実は犯人ではない」っていう可能性を考えました。シャイタナ氏は自殺をしながら他殺に見せかけ、犯人探しをさせるという企みなのではと。
(この思いつきがぱっと浮かぶ人は、名探偵コナンの影響を相当受けている人じゃないかと私は思っている。笑)
でも、そんな読者の思いつきもお見通しだというように「残念にも、シャイタナ氏はそんなたちの人間ではありません」とすぐさまポアロに否定されてしまいます。
読後はブリッジのルールを知っていたらもっと楽しめたかもしれないという悔いが残ったけど、ルールを調べても読むだけでは全然理解できなかったので諦めがつきました。