自分のためだけに料理をする。有元葉子さんの影響がここにも。
数年前には考えられなかった自分のためだけの料理というものを、なんか最近やっています。
結婚前に一人暮らしをしていたときは自炊は一切しなかったし、自分のために料理をするなんて考えたこともなかった。
結婚してからも料理をするのは主に夫がいるときで、自分一人しかいないときはうどんやお茶漬けのようなものか、惣菜、弁当、外食、もしくは食べないという選択肢がほとんどでした。
自分のためだけに料理を作ろうなどと思うようになったのも、有元葉子さんの影響かなと思います。
今回は、そんな自分のための料理や有元葉子さんについて、なんとなく思っていることを。
目次
自分のためだけに料理を作るのは、そこそこ楽しい
最近自分のためだけに作った料理の1つはチャプチェ。
チャプチェってちゃんと作るのは実はめんどくさくて、にんじん、玉ねぎ、きのこ類、ニラ、牛肉などの具材を1種類ずつ別々に炒めるのがポイントなんですよね。
野菜は1種類ずつ塩とごま油で味付け。牛肉は下味をつけて炒め、春雨も味をつけて炒めて、最後にボウルで全部を混ぜ合わせます。
おいしくできて満足。
昔の自分なら、自分のためだけに料理なんてやってられるかって感じでした。
でも今、自分のためだけでも料理しようと思うのは、昔と違って
- 料理が楽しいと思うようになった
- よりおいしいものを食べたいと思うようになった
というのが理由かなと思います。
料理が楽しいと思うようになったのは、以前の記事でも書きましたが、間違いなく有元葉子さんの影響ですね。
よりおいしいものを食べたいと思うようになったのも、「料理が楽しい」の延長線上にあるような気がします。
どうせ作るなら、おいしいものが良いな、と。
それに、おいしく作るコツちょっと覚えたし、みたいな。
食事を作るという点では、チャプチェはわざわざ別々に炒めなくても全部一緒に炒めて作っても別に良いわけです。
でも、そうじゃなくて別々に炒めて作りたい(しかも自分のためだけに)って思えるようになったのには、自分でもびっくりします。
ごま油と塩だけの味付けが実はおいしいと知ったから、チャプチェをそう作るとおいしいと知ったから、できる。
自分一人のために、なすを揚げてトマトソースパスタを作ったり。
これも有元さんの影響で、なすを1本素揚げするのはすぐできるし別になんてことない、それに揚げなすってすごくおいしい、ということを知ったからできる。
小さなフライパンや小さな鍋を使ってちょこっとだけ作るのは、以前は面倒で効率が悪いと思っていたけど、少量だとすぐできるし洗うものも小さくて楽です。
人には、自分が実感するためのフェーズがあるよね
例えば数年前の私が、親や友人に「自分のためだけに料理をするってのもなかなか良いよ」と言われても、「フーン」で終わっていたと思います。
自分が心から「そういうことだったんだ」と思えるには、自分がそういうことを感じられるフェーズに達していることが必要。
逆に、それを理解できるフェーズにまだいない人には、何を言っても響かない。
勉強やスポーツでも仕事でも何でもそうだと思いますが、ある時点では人から言われても「何のことかわからない」ということも、練習や経験を重ねるにつれて「そういうことだったんだ」とわかる瞬間があります。
数年前には何を言われても響かなかったことが、数年後の今ならわかる。
こういう感覚は、自分も多少は変化しているんだな、良い変化や成長ができているのかな、と思える数少ない要素の1つです。
「自分のためだけに料理をするのが、ちょっと楽しい」
この感覚はまさに、自分のいるフェーズが変わったか~と感じられる、そんな感覚。
なぜ、有元葉子さんに惹かれるのか
料理研究家と呼ばれる人たちはたくさんいると思います。
そのなかで、なぜ私が有元葉子さんに惹かれるのか。
それは、有元さんが自分のために料理をしているからなんじゃないか、と私は思っています。
自分のためと、おもてなしのお客のため、ですかね。
といっても有元さんの料理やレシピって別に難しいことはあまりしていなくて、基本的には良い素材をシンプルに焼いたり揚げたりして調理するだけです。
(難しいレシピもあるけど)
以前、別の料理研究家の人が、
「家族のために料理をする」
「疲れていても、夫と息子のためならご飯作りも頑張れる」
的なことを言っているのを、何かの本か記事で読んだことがありました。
私はこの言葉に共感しません。というか、漠然とした反感を感じる。理由はたぶんいろいろあると思いますが、たぶんちょっと複雑な気持ちなので深入りはしないでおきます。
(簡単に言うと、え、じゃあ家族がいない人は? 夫がいない人は? 息子(娘)がいない人は? 家族のために頑張れない人は? という感情が湧く)
有元葉子さんの多くの本から受ける印象は、上記の言葉とは逆で、
「自分のために料理する」
「食卓を共にする人と、おいしい食事を楽しむために料理する」
なんか、そんな風に感じるんですよね。この考えにすごく共感できるのです。
いや、私が勝手に感じているだけなので有元さんご自身の考えは違うかもしれないけど。もちろん家族のためも含んでいると思います。でもそれだけじゃない。
有元さんの数々の言葉から感じるのは、おいしいものを食べるために料理をする、ということ。
自分一人のためだけでも、食卓を共にする他人のためでも、もちろん食卓を共にする家族のためでも良い。
ただ私は、やっぱり根底にあるのは、自分のためにおいしいものを作るっていうところなんじゃないかと思っています。
有元さんの考えはほんと、「この人良いな、好きだな」「この人のやり方、取り入れてみたいな」「この人のレシピ試してみたいな」と思わせられる。
いやー料理研究家の仕事って大変だと思いますね。
レシピと合わせて考え方、暮らし方、生き方までもが評価の対象となり、それが受け入れられることで「●●さんのレシピなら」「●●さんの本なら」「●●さんの水切りかごなら」と支持が広がっていく。
この本とかも、まさにそう。有元さんの生き方や考え方、価値観が紹介されています。良い本でした。
有元葉子さんの本が何十冊と発売され、何十年にも渡って多くのレシピが支持されているのは、個人的にはすごく納得できます。