『蒼ざめた馬』その意味は? 魔術で人は殺せるか~アガサ・クリスティ

『蒼ざめた馬』その意味は? 魔術で人は殺せるか~アガサ・クリスティ

『蒼ざめた馬』その意味は? 魔術で人は殺せるか~アガサ・クリスティ

アガサ・クリスティ『蒼ざめた馬』を読みました。

テーマは「魔術で人を殺せるか?」。殺せるわけはないはずなのに、ターゲットらしき人々が実際に病気にかかって死んでいる。

魔術が行われるのは、3人の女が住む館「蒼ざめた馬」

主人公がおとりで魔術を依頼してみると、おとりターゲットの女性が徐々に体調に異変をきたして...。

ポアロやマープルが登場しないノンシリーズですが、これまた相当面白い。歴史学者のマーク・イースターブルックが中心となって物語を綴ります。

あらすじ、感想、ネタバレ結末をまとめました。

目次

『蒼ざめた馬』あらすじ

ある女性の死に立ち会った神父が殺された。

殺される直前、神父は死に際の女性から聞いたらしい名前を紙に書き出していた。9人の名前が書かれたその紙切れは靴の中から見つかり、警察は神父殺害の手がかりとして捜査を始めた。

学者のマーク・イースターブルックは、亡くなった名づけ親の邸宅を訪問した際に名付け親の珍しい苗字がその紙に書かれていたことを知る。他にも何人か、紙に書かれた人物が死亡しているらしい。

そのうちに、マークはオリヴァ夫人と一緒に参加したバザーの村で3人の女が「蒼ざめた馬」という館に住んでいると聞きつけた。1人は魔術を操り、1人は霊媒、1人は先祖代々の魔女だという。

「蒼ざめた馬」は、マークが以前に「誰かを消したければ、蒼ざめた馬に行けばいい」と聞いていた場所だった。

オリヴァ夫人とマークたちは翌日「蒼ざめた馬」を訪問する。そこで、魔術などまったく信じていなかったマークは家主のサーザからこう言われたのだった。

「殺したい相手を本当に殺す必要はない。ただ――おまえは死ぬと相手に言えばいいだけ」
「死を求める自我によって、本物の病気が誘発され、引き起こされる。病気になりたい、死にたいと願う――そうすれば――病気になって、死ぬのです」

魔術により遠隔で人を死に至らせるなど、たわごとでしかありえない。しかし一方で、病死を遂げた人々の名前のリストを手にしている。

そして、「誰かを消したければ...」という蒼ざめた馬の噂。

マークはデイン・キャルスロップ夫人からの助言を受け、調査に取りかかることを決めた。

霧の夜、神父が撲殺され、その靴の中に九人の名が記された紙片が隠されていた。そのうち数人が死んでいる事実を知った学者マークは調査を始め、奇妙な情報を得る。古い館に住む三人の女が魔法で人を呪い殺すというのだ。神父の死との関係を探るべくマークは館へ赴くが......。オカルト趣味に満ちた傑作、新訳で登場
解説:間室道子

『蒼ざめた馬』(早川書房 クリスティー文庫)

「蒼ざめた馬」の意味とは?

この作品の中で「蒼ざめた馬」は魔術が行われる館の名前として登場していますが、その意味としては死の象徴

聖書(ヨハネの黙示録)に出てくる4人の「馬に乗る者」のうちの1人、「死」という名前の者が蒼ざめた馬に乗っているのです。

聖書的には死の象徴である「蒼ざめた馬」という名の館に依頼すると、そこに住む女たちが邪魔な人間を魔術で呪い殺してくれる。

まさに、死をもたらす死神の館です。

聖書を知らない人からしたら「蒼ざめた馬」は単なる固有名詞でしかありませんが、聖書を知る人からしたらデイン・キャルスロップ夫人が言うように非常に暗示的な名前なんですね。

館には蒼白い牝馬の絵が飾ってありましたが、最初は長年の垢でぼうっとした状態の馬しか見えませんでした。

最後、絵を洗浄してみると、きらりと光る骨を手にした骸骨が馬に乗っていたことがわかります。やっぱり死神が乗っていたんですね。

『ヨハネ黙示録』第六章、第八節。“われ見しに、視よ青ざめたる馬あり。これに乗る者の名を死と言い、陰府これに従う......”

『蒼ざめた馬』(418ページ)

※陰府:死者の世界。黄泉。冥府。

こう聖書を引用したのは牧師の妻、デイン・キャルスロップ夫人でした。

「蒼ざめた」って実際どんな色?

でも「蒼ざめた馬」って実際どういう色の馬なんでしょう。

本の原題は "The Pale horse"

Pale は辞書的には、青白い、青ざめた、淡い色の、うす暗い、という意味があるようです。Pale をどう訳すかで日本語としての印象は変わりそう。

調べてみると、もともとギリシャ語で書かれた新約聖書の Chloros という言葉が英語で Pale と訳されたようです。

聖書の辞書サイトによると、Chloros の意味は次のようになっていました。

  1. green (緑色)
  2. yellowish pale (黄色っぽい pale)

なので、聖書的には緑がかった雰囲気の馬だったのかもしれません。

英語の Pale だと血の気が引いていて病的なイメージもありますし、まぁ死神が乗っている馬なので、不気味で血の気が失せているような暗い印象の青緑色っていう感じなのかな。

こういう絵がありました。左端が死神ですね。

Four Horsemen of the Apocalypse, an 1887 painting by Viktor Vasnetsov
Four Horsemen of the Apocalypse, an 1887 painting by Viktor Vasnetsov

こちらの絵だと、青銅色、青灰色という感じでしょうか。

白い馬には「勝利」の騎士が乗っているので、蒼ざめた馬は少なくとも白馬ではないですね。

亡霊のような馬、と考えても良いのかもしれません。

『蒼ざめた馬』読みどころと感想

魔術なんていんちきだろうが、ひょっとしたら...という人間感覚がリアル

魔術で人を殺せるなんてことは、ありえない。学者であり教養もあるマークはもちろんそのように考えますが、腑に落ちない点が現にいくつも発生している。

じゃまな人間を消せるという噂の館「蒼ざめた馬」が実在していること。
そこに住む女が、遠隔で相手を病気にし、死なせることが可能だと豪語していること。
紙に書かれた名前の人物の死が、不審な点のない病死で、周囲にとって好都合であること。

不可能なはずなんだけど、でももしかしたら...と考えるマーク。

暗示の力自体は否定できないし、プラシーボ効果やノーシーボ効果があることも知っている。

この感覚が、なんかすごくよくわかるんですよね。ありえないと思ってるけど、もしかしたら私の知らない何かがあって可能なのかもしれない。

作品中にも書かれていますが、飛行機や電話だって発明される前は「そんなことできるわけないでしょ」って一笑に付されたかもしれないし、何十年前には不可能だったことでも今では可能なことがある。だから、いんちきそうな超常現象だって何だって、何が起こっても不思議はない。

このマークの心境がよくわかるから、なんかリアルなんですよね物語全体が。ばかばかしいと言い切れない。

マークの考えをたわごとだと言い放つガールフレンドのハーミアや警察医のコリガンの存在も、「えー、でもそうは言ってもさ、もしかしたらさ...」という読者の考えを後押ししようと描かれてるような気がしてくる。

で、マークは実際にどんな魔術が行われているのかをその目で見ようと「蒼ざめた馬」の依頼人となり、魔術のパフォーマンスを見ることになりますが、そのときのマークの感覚もすごくリアルで。

ベラの不気味な演技なんかはばかばかしいとは思うものの、よくわからない電気の通った大きな機械が低いうなり声を発し始めると、一気に不安になってくる。

あれを媒体として、いったいどんな呪わしい秘法が実行されているのだ? 脳細胞に作用するような光線が物理的に生みだされているということはないか?

『蒼ざめた馬』(303ページ)

不可能だとは思ってるのに、得体が知れないから不安が募る。まさかあれが、遠隔作用で病気を引き起こせる機械... なの、か...? みたいにね。

それに、呪術的な儀式って世界中のどこにでも昔はありましたよね。病気を治すための儀式とか、魔よけの儀式とか。

科学的な根拠はないとされていても「昔は呪術や儀式が行われていた」っていうことはみんな普通に知っているから、その効果を完全には否定できない気持ちが心のどこかにあるというか。霊媒役のシビルは、本当にその力がある人間として描かれてますしね。

そうした気持ちをマークと一緒に味わいつつ、でもアガサ・クリスティがいんちきミステリーを書くわけがない、一体どういうからくりを用意してるんだ? と考えながら読んでいくことになる。

まぁアガサ・クリスティだから、読後の安心感は保証されますよね。

マークとジンジャー 対照的な2人

マークがジンジャーに調査の話を持ち掛けたときの、マークの頼りなさとジンジャーの頼もしさが対照的で面白かった。

何をすべきかどんどん話を進めていくジンジャーと、ぼくに何ができる? どうやって? 会う口実は? それから? 次はどうする? などとジンジャーに聞いてばかりのマーク。

っていうか、おいマーク! お前が調査するって言い出したんだろ! しかも頭いいんだろ! 何も計画考えてなかったのかよ! って突っ込んでいいですか。

タッカートン夫人の調査に行く前にもまだぐじぐじ言っていて、ジンジャーにピシッと説得されている。ジンジャーのほうがよっぽど優秀で有能に見えるんですが。

蒼ざめた馬で何が行われているのか、依頼人になって確かめてみよう、自分がターゲットになると提案するのもジンジャー。

いや、まぁだからこそ、マークは知的で美人なガールフレンドよりも、この勇ましいジンジャーに惚れちゃったっていうのもわかるんだけどね。

まとめ:ノンシリーズは毎回新鮮

私は基本ポアロものが好きなので、ポアロ以外の作品は読む前の期待感って未だにそんなにないんですが、やっぱり毎回裏切られるように面白い。

いい加減、ポアロ以外もめちゃくちゃ面白いってことを認識して読まないといけません。

ポアロやマープルはある意味作品としての定型がありますが、ノンシリーズにはないからそれも新鮮。

ポアロ→マープル→ノンシリーズ→... ってな具合にローテーションで読んでいくのが良いのかも。

『動く指』にも出てきたデイン・キャルスロップ夫人(カルスロップ夫人)は、こちらの作品でも切れ者であることは変わらないですね。

「大部分はまやかしだけど、その中に実際に効力のある何かがまぎれている」

いつも本質を突く発言をしているし、自分自身が特別なことをやるわけじゃないけど事件解決に重要な役割を果たしていました。

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『蒼ざめた馬』ネタバレ結末と感想

魔術のイメージ画像

いやー面白かったですよー。

神父に名前を託して死んだ女性や、髪の毛を引っこ抜かれてその後すぐに死んだトマシーナ・タッカートン、そこからすでに話は始まっていて、最後まですべてがつながっていたとは。

作品としては、魔術で殺すといういんちきくさいテーマなのに全然陳腐じゃないし、荒唐無稽でもない。

心理学の説明も含めてマークや読者を引き込ませるし、殺人組織のトリックも非常に凝っていて見事。最後のどんでん返しも用意されていて、1冊に盛り込まれているネタの量が半端ない。

殺人組織「蒼ざめた馬」の仕組みはこうだ。

まず依頼人は、ブラッドリーという元弁護士のもとを訪れて「賭け」の契約を交わす。

依頼人が消したい人間が期日前後に亡くなればブラッドリーの勝ち。依頼人はブラッドリーに多額の賭金を支払う。

「誰々を殺してくれ」なんていう契約でもなし、どんな内容で賭けをするかは自由だから、ターゲットが死んでも当人はどんな罪にも問われない。

賭けを利用した巧妙な殺人依頼契約なのだ。

ちなみに、賭金の比率は通常 500:1 で、ブラッドリーの取り分を10ポンドと考えると依頼金は 5,000 ポンドになる計算。

この作品が書かれた1961年頃の 5,000 ポンドの価値をこちらのサイトで調べたところ、2017年時点で 10万4,805 ポンドに相当するとのこと。

で、それを現在の円に直すとだいたい1,680万円くらい。通常そのくらいの金額でこの殺人を請け負っていたということですね。

マークが依頼したときに提示されたのは、急ぎだったので 1800:1 という比率。これだと、現在でだいたい6千万円くらいに相当するようです。

契約後、依頼人は「蒼ざめた馬」に行くよう指示される。消したいターゲットの持ち物を持って、3人の女たちによるおどろおどろしい魔術ショーを見物することになる。

(しかし実際には魔術は単なるまやかしで、本当は何の意味もない)

それが終われば、依頼人はターゲットから離れた場所で日々を過ごすだけ。

その間に黒幕犯人は契約した期日を見据えてターゲットの家を訪問し、普段使っている日用品をタリウム入りのものに置き換える。

殺鼠剤としても使われるタリウムは皮膚や気道から吸収され、ターゲットはしばらくすると中毒症状で死ぬ。

タリウムの中毒症状はさまざまな病気の症状として表れる。タリウムを盛られているなどとは誰も普通は思わないために、自然な病死として取り扱われるという寸法。

結局、魔術によるテレパシー殺人などではなく、物理的にタリウムを盛るというアナログな毒殺だったのだ。

最初に死んだ女性が所属していた消費者調査会社 C・R・C も、殺人活動の1つ。

調査員は家を1つ1つ回って普段どんな日用品を使っているかを聞き取るのが仕事だが、その家々にターゲットが含まれており、黒幕はその調査結果を見てタリウム入りのすりかえ品を用意していた。当然、調査員には C・R・C の本当の役割については知らされていない。

「蒼ざめた馬」相関図

神父が死に際に立ち会った C・R・C の女性調査員は、自分が訪問した家の人間が次々と死んでいくことに気づき、黒幕からタリウムを盛られて葬り去られることになってしまった。

死ぬ間際、その事実と訪問した家の名前を神父に託したが、託された神父もすぐに黒幕によって殺されてしまう。

黒幕はヴェナブルズだと思ってましたよ最後まで。え、犯人ヴェナブルズでも良かったですよ?笑

それまでの経過で十分楽しんだし、ヴェナブルズが徐々に怪しげな雰囲気になっていたし、それでヴェナブルズが犯人でしたってなっても満足でしたよ私は??

でもそれで終わらせないのがアガサ・クリスティでした。黒幕はあの薬局屋の主人かよー!!

それも、ヴェナブルズを問い詰める際に同行させて、逆に黒幕として暴くという派手なやり方のどんでん返し! いやーこれまたやられましたっていう感想しかない。

『動く指』と同様、マークとジンジャーの結末にはつい笑みが。

マークがジンジャーに調査協力を依頼したあと、計画を主導して進めていくジンジャーに少しずつ惹かれていき、そのジンジャーの身にいよいよ危険が近づいたときにタリウム殺人だということに気づいて助ける、この流れがヒーロー的で良かった。

調査中は、マークもうちょっとしっかりしろよ~と思いながら読んでいましたが、タリウム中毒が原因だったという一番重要かつ難解な部分に気づいたからまぁ良いでしょう。

アガサ・クリスティが看護師・薬剤師として働いて身につけた知識と経験が存分に生かされた1冊だったと思います。

アガサ・クリスティの作品・感想一覧

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