『殺人は容易だ』内なる狂気を秘めた凶悪犯の話~アガサ・クリスティ
殺人は容易なのでしょうか。
普通はそうは思いません。何度も人を殺しておきながら罪をのがれることは、普通はかなり難しいはずです。
「いいえ、その考え方はまちがっていますわ。殺人はとても容易なんですよ──だれにも疑われなければね」
連続殺人犯の正体を確信し、主人公にそう語った老婦人はその日のうちに殺された。一見殺人とは思われない方法で、小さな村で次々と人殺しを実行している犯人は誰なのか。
シリーズとしては一応バトル警視ものとされていますが、バトル警視の登場は最後のほんの数ページでした。
目次
『殺人は容易だ』あらすじ
東洋(植民地)での警官勤務を退職し、何年かぶりにイギリスに帰ってきたルーク・フィッツウィリアムは、ロンドン行きの汽車の中で老婦人と知り合った。
その老婦人は、村で誰にも疑惑を持たれず大勢を殺している人間がいるとして、これからロンドン警視庁まで知らせに行くという。
ルークは彼女の話を空想だと聞き流していたが、翌日の朝刊を見て驚いた。その老婦人が車にひかれて死んだのだ。
一週間後、ルークはさらに驚いた。老婦人が汽車の中で次の被害者として示唆していた人物までもが急死したのだ。
老婦人の話が真実だったのかどうか、ルークは調査のためにその村に出かけることにした。
村に行くと、友人の従妹であるブリジェットからこの1年は死者がずいぶん多かったことを聞く。
死んでいたのは例の老婦人が汽車のなかで被害者として名前を挙げていた人々だった。村ではいずれも殺人ではなく、事故や不運として扱われていた。
ルークは民間伝承の本を書くという口実のもと、死亡状況の調査を始めるのだった。
植民地帰りの元警官ルークは、列車内でたまたま同席した老婦人から奇妙な話を聞いた。彼女の住む村で密かに殺人が行なわれている、彼女はその犯人を突き止めたので警視庁に訴えに行くという。くだらぬ妄想だと聞き流したルークだったが、翌日の朝刊をみて愕然とした。その老婦人が車に轢き殺されたというのだ......。
『殺人は容易だ』(早川書房 クリスティー文庫)
解説:神命 明
『殺人は容易だ』読みどころと感想
動機が不明な殺人事件は難しい
この事件は事故や不運に見せかけられた連続殺人事件なんですが、犯人探しが難航するのは動機の特定が難しいから。
被害者はわかっているが、彼らに共通しそうな動機というのがなかなか見当たらない。
動機がわからないと犯人を見つけるのはかなり難しくなって、推理は混沌としてくるもんだなとルーク・フィッツウィリアムの考えを読みながら感じました。
その殺人により、利益を得るのは誰か?
アガサ・クリスティの作品ではその問いをよく投げかけられますが、この作品では利益となるものがまったく見えない。
殺人事件では利益は文字通りお金になることが多くて、結局金目当ての殺人だったという話は多いんですが、この作品はそういう意味で一味違った印象です。
この事件の犯人ってよく考えると超凶悪犯
この事件の犯人、少なくとも7人を殺しています。
事故とも思われるような殺人だし、作品中にリアルタイムで起こるのではなく過去に起こった殺人なので、どうもその意識が薄れがちになるのですが実は超凶悪犯です。
アガサ・クリスティの事件の中でも珍しいほどの大量殺人。
それほどの凶悪犯罪なのにそこまで重苦しい雰囲気にならず、わりとさらっとした気持ちで読めるのはいつも通りでした。
まとめ:バトル警視は出てこないです
この作品の主人公は、植民地帰りのルーク・フィッツウィリアム。
元警官の彼はがんばって推理しているんですが、難しい事件だというのもあるけどポアロとは違って作中の推理にまったく鋭さを感じられないのがもどかしい。笑
あ、バトル警視は最後まで出てこないです。というか、なぜ最後にバトル警視を登場させたのかが超謎。バトル警視である必要性はまったくない。と思う。
キレッキレの推理を楽しむ作品ではないですが、犯人の意外性に驚くことは請け合いです。
ネタバレありの感想
序盤、ルークがブリジェットに案内されて最初にミス・ウェインフリートと会ったとき、次のような描写がありました。
「まあ、ずいぶんおもしろそうですこと」と、ミス・ウェインフリートはいって、彼にはげますようなまなざしを投げた。
『殺人は容易だ』(クリスティー文庫 87ページ)
彼はふとミス・ピンカートンを思い出した。
このさりげなさすぎる伏線!!
たった3行ですが、ミス・ウェインフリートのまなざしが、汽車のなかで老婦人ミス・ピンカートンがおそらく犯人を思い描きながらルークに見せた表情に似ていた、つまりミス・ピンカートンが確信していた犯人がミス・ウェインフリートだというほのめかしですね。
気を抜くと通り過ぎてしまいそうなこのさりげなさよ。読み直して気づいた自分にちょっと感動。
こういう微妙な描写に初読で気づくのはほぼ不可能だと思うし、やっぱり読み直しの2回目が一番楽しい。
最終盤でも、ミス・ウェインフリートのまなざしについての描写はありました。
ミス・ウェインフリートはじっと彼女を見つめた。その表情は、ルークが最近会っただれかと、あるいは何かと似ているところがあるような気がした。彼はとらえどころのない記憶をさぐったが、思い出せなかった。
『殺人は容易だ』(クリスティー文庫 361ページ)
こちらはきっとわかりやすい。敏感な人はここで気づきますかね、これがミス・ピンカートンが言っていた犯人の目つきだと。
しかし鈍感な私はまったく気づかず、ミス・ウェインフリートが散歩中に手袋をしていたことが描かれるときまでブリジェットが犯人だと思ってました。。
あの、わたし中盤くらいからずっとブリジェットが犯人だろと感じていて、ブリジェットのセリフすべてが怪しくてうさんくさいと思いながら読んでいたんですが、これって私だけ? 偏りすぎな読み方?
じゃないですよね??
アガサ・クリスティは、ブリジェットが犯人だと読者がミスリードするように書いてますよね???
お願いだから誰か同意してほしい。
最後、ブリジェットは犯人であるミス・ウェインフリートと対決して犯人確保に一役買い、また殺されそうになった被害者の1人という位置づけになっていますが、その結末がさも当然かのように描かれているように感じられて、ブリジェットを疑っていた自分が見当違いな大間抜けのように思わされたんですが、これってアガサ・クリスティの狙いですよね?笑
アガサ・クリスティの思惑通りミスリードにはまったね、みんなそうだよ、と誰か言ってくれ。
あと、ルークとブリジェットの恋愛は正直よくわからなかった。ブリジェットは最終的にはホイットフィールド卿のほうを選んでほしいとさえ思った。
ルークがなぜブリジェットに惚れたのかもわからないし、ブリジェットがなぜルークに鞍替えしたかもわからない。
ホイットフィールド卿は尊大な成り上がり野郎でまぁお金持ってなきゃ誰にも振り向かれないタイプの人でしょうが、虫も殺せないしなんでもかんでも信じちゃうし、結局超善人なんじゃんと思いのほか好印象で終わりました。