アガサ・クリスティ『ねじれた家』原作あらすじと感想~異様な緊張感に包まれた物語
アガサ・クリスティの『ねじれた家』。
タイトルは、マザーグース「ねじれた男がおりました」からの引用です。
読んでいる最中からとても、、、疲弊する作品でした。
というのも、この話、最初から最後まで異様な緊張感に包まれているのです。
登場人物たちの異様さ、何が起こるかわからない不気味さ、犯人のわからなさ、「ねじれた」というワードの奇怪さと薄気味悪さ。
終始緊張を強いられて、読後は疲労感でぐったりでした。。
いや、でも面白い。アガサ・クリスティ自身がもっとも満足している作品のうちの1つだそう。2017年に映画化もされているようです。
ポアロやミス・マープルは登場しないノンシリーズです。原作あらすじと感想をまとめました。
目次
『ねじれた家』あらすじ(原作)
大戦末期。東洋勤務を命じられた外交官のチャールズは、ガールフレンドのソフィアがこれまで家庭のことを一言も話さなかったことに気がつく。
任期を終えたら結婚を申し込みに行くというチャールズに、ソフィアは「あなた、あたしのことあまりご存じじゃないでしょう?」と答える。
「スウィンリ・ディーンに住んでるの。ちいさな、ねじれた家に......
そしてみんな一緒にちいさなねじれた家に住んでたよ。
これ、あたしの家のことなの」
ソフィアには大富豪の祖父がおり、ねじれた家に親戚家族が集まって暮らしているというのだった。
二年の任期を終えたチャールズは、イギリスに帰国するとすぐにソフィアに会いたいと電報を打った。だが同じ日、ソフィアの祖父レオニデス氏が急死したという新聞記事の死亡欄を見る。
喪服を着て現れたソフィアは、祖父が殺された可能性があると言う。ソフィアには警察の尾行がついていた。
警察の捜査によると、死因は毒殺。糖尿病治療に使用していたインシュリンの瓶に目薬のエゼリンが入れられていたという。
瓶の中身を注射したのはレオニデスの若い後妻。怪しいが、証拠はない。それに家の者なら誰でも瓶の中身を入れ替えることができた。
チャールズは警察関係者として、またソフィアの恋人として、レオニデス家の捜査に加わるのだった。
ねじれた家に住む心のねじれた老人が毒殺された。根性の曲がった家族と巨額の財産を遺して。状況は内部の者の犯行を示唆し、若い後妻、金に窮していた長男などが互いに疑心暗鬼の目を向け合う。そんな中、恐るべき第二の事件が......マザー・グースを巧みに組み入れ、独特の不気味さを醸し出す女史十八番の童謡殺人
『ねじれた家』(早川書房 クリスティー文庫)
解説:末國善己
マザーグース「ねじれた男がおりました」と Crooked の意味
『ねじれた家』というワードはマザーグース「ねじれた男がおりました」(There was a crooked man)からの引用です。
事件の舞台となるレオニデス家の外観が奇妙にねじれていることから、ソフィアが「ねじれた家」と呼んだのでした。
マザーグース「ねじれた男がおりました」の原文は次のようなもの。
There was a crooked man
And he walked a crooked mile
He found a crooked sixpence
Upon a crooked stile
He bought a crooked cat
Which caught a crooked mouse
And they all lived together
In a crooked little house.
作品中では次のような訳があてられていました。
ねじれた男がいて、ねじれた道を歩いて行った
『ねじれた家』(クリスティー文庫 38ページ)
ねじれた垣根で、ねじれた銀貨を拾った
男はねじれた鼠をつかまえるねじれた猫を持っていた
そしてみんな一緒にちいさなねじれた家に住んでたよ
「ねじれた」というのは一体どういうニュアンスなのか。日本語でもそれほど使う言葉じゃないですが、とりあえずあまり良い響きはしない。
原題は "Crooked House" なので、Crooked の意味を調べてみました。
対義語は straight 。真っすぐじゃない感じなんですね。
Crooked man は意味的には「曲がった男」「ゆがんだ男」とも言えますが、日本語を「ねじれた男」としているのは奇妙感があって良い訳になっていると思う。
また crooked には人を差して「心が曲がっている」「悪徳」という意味もあるようです。
作品中でもタヴァナー警部がレオニデス氏のことを心のねじれた男(ただし悪党(crook)ではない)と表現している箇所がありました。
crook は 犯罪者・詐欺師 の意
Crooked なのはレオニデス氏だけではなく、レオニデス家の家族親族のゆがんだ性格、ゆがんだ関係性をも示していると思われます。
心が曲がった人というと性格が悪い人という印象を受けますが、この作品の登場人物は性格や意地が悪いというよりも、残忍・残酷であるという意味で真っすぐではない、ということのかなと思った。
『ねじれた家』のマザーグースの扱いとしては、事件の舞台と被害者、そしてその家族たちを表現するために引用された、という形。
いわゆる「マザーグースもの」でも、わかりやすい見立て殺人だけではなくこういうバリエーションを持たせているところにアガサ・クリスティの想像力を感じる。
ちなみにこちらが There was a crooked man のメロディらしいんですが、この陽気な歌を聞くとなぜかより一層この作品の不気味さが増します。
いや、そんな明るく歌われても、、、みたいな。
でも実際は逆なんですよね。こんなに明るい歌をこんなに恐ろしいミステリーに仕立てあげるアガサ・クリスティが怖いのよ。
『ねじれた家』感想と読みどころ
ねじれた家の登場人物(全員怪しい)
犯人が最後までわからない。。
ねじれた家に住むねじれた心の登場人物たち、全員怪しい。
物語はチャールズとソフィアの結婚話から始まりますが、語り手のチャールズとその恋人ソフィア、この2人でさえ怪しいと思えてくる。
レオニデス氏の後妻ブレンダと恋仲が疑われる家庭教師のローレンスは当て馬っぽいけど本当のところはわからない。警察がレオニデス家の捜査に入ったときから、2人はおびえていた。
レオニデス氏の長男ロジャーは、父親を尊敬しつつも、父ほどの能力を持たない自分への父の優しさを負担に感じていた。この家と父から解放されるために父を殺してもおかしくない。
レオニデス氏は、ロジャーとの話し合いの直後に急変した。
チャールズの見立てでは人のいいロジャーが人を殺すとは考えにくいが、だからこそ怪しさもある。
ロジャーの妻、科学者のクレメンシイは、ロジャーのことを思うばかりに、ロジャーを解放するために義父を殺してもおかしくない。
レオニデス氏の次男でありソフィアの父であるフィリップは、感情を表さず何を考えているかまったくわからない男だが、心の中では父がいつも兄のロジャーばかり可愛がることを妬んでいた。
フィリップの妻、舞台女優のマグダは調和の感覚がまるでないエゴイスト。一見、常に何かを演じているように見えるがその心はわからない。
ソフィアの弟ユースティスと妹ジョセフィンは、変わり者の両親からほぼ放置されており、頭が良いだけに扱いにくい子どもに育っている。ねじれた家に囲まれねじれた家に閉じ込められていて、健全に成長ができていないように思われる。
レオニデス氏の義姉エディス・デ・ハヴィランドは、家族の皆に愛情をかけているようだが、この家にやってきたときからレオニデス氏を嫌っていた。
ソフィアは一番まともなようだが、祖父レオニデス氏の遺産を一手に引き受けることになり、動機はあることになってしまう。
これだけの登場人物を疑いながら読んでいたら疲れるのも当然ですが、この本を読んでいるとなぜか異常に疑り深くなってしまうんです。
特に序盤から中盤、第二の事件が起きるまでは家族のねじれた関係性の描写に終始していて、物語に動きがないから余計登場人物に疑いを持つことに集中してしまう。
このあたり、人によっては何も起こらずつまらないという感想も出そうだし、私のように次に何が起こるかわからず緊張感を感じさせられるという人もいそう。
とにかく作品全体に漂っている雰囲気が異様としか言えないんですが、それだけ、この作品をつくりあげている登場人物たちが異様だと言っていいし、そこが『ねじれた家』の面白くて怖いところだと思います。
警視庁副総監が語る殺人犯の特徴
この作品の語り手チャールズの父は警視庁副総監。
チャールズがお父さんに「殺人犯人って普通どんな人間なんです?」と問う場面があります。
読み返してみると、ここでのお父さんの回答が非常に的を得たものであることがわかるのですが、事件途中の段階ではそれがわからない。
- ごくあたり前の人間が、何かのはずみに出来心で殺人を犯すことはよくみる例
- 犯人には一種の見栄が必ずある
- 犯人はお喋り
とても示唆的なんだけど、実際の事件にあてはめて考えると難しい。
読み返せばこの問答がヒントになっていることはわかるんですが、特に何も起きていない中だるみ的な部分にこのシーンが挿入されていて、その後第二の事件が起きたときにはなんていうか、、忘れちゃってるんですよね。笑
で、犯人が明らかになったときにチャールズと同じようにヒントが提示されていたことに気づくという。いや、そのように構成されているに違いない。
第二の事件以降、このヒントの存在感が薄まるように。
まとめ:読み応え過多 余裕のあるときに読みたい一冊
爽やかな作品ではありません。
結末も正直、重い。
読み応えがありすぎるほどあり、冒頭に述べたように私は読後疲労困憊でした。
でもそれは、面白くて一気読みしてしまったからこそでもある。
今後読み直すときには、時間的にも精神的にも余裕のあるときに読みたい作品だと思いました。
『ねじれた家』ネタバレ結末と感想
警察の捜査では、家族たちからはレオニデス氏殺害の動機が一切見えなかった。
しかし、熱心に探偵ごっこをやっていた12歳のジョセフィンはもっと多くのことを知っていた。
レオニデス氏とロジャーが二人でお金の話をしていたこと、ロジャーが黙って家を出ていこうとしていたこと、ブレンダとローレンスがラブレターを交わしていたこと。
「警察なんかおばかさんよ!」と言い放つジョセフィンは、犯人の目星もついているようだ。
事件が進展しないまま、レオニデス氏の死後行方不明になっていた正式な遺言が見つかった。家族に分配されると思われていた遺産は、すべてソフィアに遺すという遺言だった。蔑ろにされたと感じた家族はソフィアにつらく当たる。
その直後、ジョセフィンが頭を打たれて脳震盪になったという知らせが入った。
ジョセフィンをもっと注意深く見ておくべきだったと後悔するチャールズ。レオニデス家の事情に通じていたジョセフィンが狙われるのも当然のことだった。
その後ジョセフィンは無事に退院。しかし一家が安心したのも束の間、今度はばあやが殺されてしまう。ジョセフィンのココアに毒が入れられており、それをばあやが飲んだのだ。
その日、エディス伯母は家の外にいるほうが安全だと言ってジョセフィンを車で連れ出した。しかし二人がねじれた家に戻ってくることはなかった。二人とも、車の中で死んでいた。
チャールズはエディス伯母が家に残していた手紙を二通見つける。
一つはタヴァナー警部宛に、これまでの殺人は自分の罪だと自白する手紙。
もう一つはチャールズ宛で、ジョセフィンの黒いノートが同封されていた。
ノートの第一ページには、“今日、おじいさまを殺した” と書かれていた。
エディス伯母さんは自分の余命が長くないこと、そしてジョセフィンが真犯人であることを知っており、ジョセフィンとともに命を絶ったのでした。
エディスはジョセフィンが頭を打たれる(自分の頭に石を落とす)前に、次のように発言していました。
わたしはソフィアだけじゃなく、みんなが可愛いのよ──ロジャーもフィリップも、それにユースティスとジョセフィンもね。可愛い子供ばっかりだ。
『ねじれた家』(クリスティー文庫 221ページ)
~中略~
だけどね、なにもわたしは盲目的に可愛がってばかりいるんじゃないけどね」
エディスはこう言ってから黙って出て行った。私には、いくら考えても彼女が最後に言った言葉の意味がわからなかった。
この時点ではもう、ジョセフィンのノートを見つけていたのかもしれません。
ジョセフィンのことを可愛いと思っていながら、いや可愛いと思っているから、ジョセフィンをこのまま野放しにしてはおけないと共に死ぬことを選び、自分が殺人の責任を負うことを選んだ。
これがエディスにとっての「盲目的に可愛がっているわけじゃない」ということだという理解で良いでしょうか。
エディス伯母さんの深い優しさには、じんとした。余命わずかな自分を犠牲にして、ジョセフィンを世間的にかばい、今後ジョセフィンから危害を加えられるかもしれない人々を救った。
ジョセフィンは12歳の殺人犯なんですが、、、とてもかわいそうな子でした。醜く生まれ、親からは取りかえっ子と呼ばれ。(というか両親がひどすぎる)
レオニデス家の人々が個別に持っていた傲慢な残酷さ、残忍なエゴイズム、感受性の強さ、天邪鬼な血、頭の良さとずる賢さ。それらが遺伝により一挙にジョセフィンに集中し、道徳的な観念が発達しないまま殺人を犯してしまった。
エディスは最初はちょっと嫌な感じのお婆さんだなと思っていましたが、本当に家族思いの伯母さんだったんですね。。
「オールドミスの伯母さん」はアガサ・クリスティの作品によく登場しますが、クセはあるけど憎めない、いつもそんな風に描かれているように感じます。
最後に一言。チャールズからのプロポーズを受け入れるソフィアの言葉。
「ええ、チャールズ、あなたを愛してるわ。あたし、結婚して、あなたを幸せにするわ」
かっこええーーーーー!!!