アガサ・クリスティ『ねずみとり』サザエさん的良さのある世界一のロングラン戯曲
アガサ・クリスティの『ねずみとり』は、1952年の初演以来、世界でもっとも長く連続上演されていた舞台だそうです。
(残念ながらコロナ流行により2020年に一時中断)
この戯曲は『招かれざる客』や『検察側の証人』と比べると、劇的なインパクトにはやや欠ける作品かなと思います。
でも、なぜこの『ねずみとり』が演劇史上最長のロングランなのかは、なんとなくわかる気がする。
たぶん日本でいうサザエさん的な存在なんですよね、この作品。もしくは朝ドラ。
イギリスの厳しい冬の寒さや一般中流家庭の生活を背景に、イギリス人なら誰もが知っているマザーグース「三匹の盲目のねずみ」を題材に描かれる適度なスリルとサスペンス。
適度とはいえ、結末に驚きは待っています。あらすじと感想をまとめました。
目次
『ねずみとり』あらすじ
結婚して1年の若夫婦モリーとジャイルズは、ロンドンから一時間ほどの山荘でゲストハウスを開業した。
オープン当日は猛吹雪。宿泊客は予約の4人と、雪で立ち往生した飛び込み客が1人。
落ち着きのない青年クリストファ。
嫌味で感じの悪いボイル夫人。
男口調の女性ケースウェル。
まともそうに見えるが飲んべえかもしれないメトカーフ少佐。
奇妙な外国人風のパラビチーニ。
客たちは皆クセのある者ばかりで、若夫婦は少し憂鬱ぎみになる。
翌日、うずたかく積もる雪で山荘が孤立するなか、1人の刑事トロッターがスキーをはいてやってきた。
ロンドンで起きた殺人事件の現場で、この山荘の住所が書き込まれた手帳が見つかったというのだ。
被害者の死体の上にはマザーグース「三匹のめくらのネズミ」の楽譜と「一匹目」と書かれた紙が落ちていたという。
被害者は以前、里子を虐待して死なせ、禁固刑に処された過去を持っていた。
虐待事件の関係者が狙われている、と刑事は関係者に名乗り出るよう促すが、その場は沈黙。刑事が何度尋ねても、手を挙げる者は誰もいなかった。
「では、この中でだれかが殺されたとしても、それは自分のせいですからね」
トロッター刑事はそう言って、山荘の中を調べ始めるのだった。
若夫婦の山荘に、大雪をついて五人の泊り客、そして一人の刑事がやってきた。折しも、ラジオからは凄惨な殺人事件のニュースが流れはじめる。やがて、不気味なほどの緊張感がたかまり、舞台は暗転した! マザー・グースのしらべにのって展開する、スリリングな罠。演劇史上類をみないロングランを誇るミステリ劇。
『ねずみとり』(早川書房 クリスティー文庫)
解説:石田衣良
『ねずみとり』の読みどころと感想
原題は "The Mousetrap"。『ねずみとり』は直訳ですね。
犯人がマザーグースの調べにのって、ねずみを狩る話とでも言えるでしょうか。
マザーグース「三匹の盲目のねずみ」
アガサ・クリスティのマザーグース作品には、怖いものとそんなに怖くないものがあります。
この作品はちょっと怖いタイプ。「三匹の盲目のねずみ」を題材に、一匹目、二匹目、三匹目、、、と犯人がターゲットを狙っていくのです。
「ちょっと」としたのは作品全体に戯曲としての陽気さがあるから。
マザーグースが同じような使われ方をする『そして誰もいなくなった』のほうは淡々とした描写の小説で、『ねずみとり』のような陽気さがなくただただ恐ろしい。
三匹の盲目のねずみのメロディは、作品内のセリフにもあるようにイギリス人なら誰でも知っているほど一般的なものとのこと。日本なら森のくまさんとかみんな知ってるからそんなイメージかな。それかサザエさんのテーマソングとか。
本書の訳注に掲載されていた「三匹の盲目のねずみ」の日本語歌詞はこちら。
三匹の めくらのネズミが
『ねずみとり』(クリスティー文庫 193ページ)
かけてきた
チュッチュのチュ
ばあさんおこって庖丁で
ネズミのしっぽをチョン切った
めくらのネズミが逃げていく
チュチュッチュのチュ
本書では、この童謡のタイトルは「三匹のめくらのネズミ」となっています。ただ、現在の一般的な邦題としては「三匹の盲目のねずみ」となっているようでした。このクリスティー文庫は2004年の刊行ですが、訳者は1917年生まれの鳴海四郎さんで、翻訳自体は1980年のものだと思われます。
英語の原文は、いくつかパターンがあるようですが一例がこちら。
Three blind mice. Three blind mice.
See how they run. See how they run.
They all ran after the farmer's wife,
Who cut off their tails with a carving knife,
Did you ever see such a sight in your life,
As three blind mice.
原文中にはチュチュッチュなどといった擬音語を思わせる表現はなさそうなので、本書のチュッチュは翻訳の妙といったところでしょうか。
直訳だと、
三匹の盲目のねずみがいる
彼らが走る様子を見てみてよ
みんなで農夫のおばさんを追っかけてる
おばさん、やつらのしっぽをナイフで切っちゃったよ
こんな光景見たことある?
三匹の盲目のねずみなんてさ
こんな感じでしょうか。
なんで盲目なんだろう? とか考え始めたらだめですね、マザーグースは。(mice との韻かな?)
歌詞と事件との関連性は「ねずみが三匹」という部分。ねずみが三匹いるから、三人の犠牲者(候補)がいるというような具合。
このわかりやすさが演劇で扱うマザーグースとしてはちょうど良いのかもしれない。
犯人が被害者(ねずみ)を取っていく物語だからねずみとりというのもうまいタイトルだと思った。
「三匹の盲目のねずみ」の他にも、この戯曲には以下のマザーグースが登場しています。
- 北風だ(The north wind doth blow)
- ホーナー君(Little Jack Horner)
- ボーピーちゃんの子羊(Little Bo-Peep)
※日本語タイトルは本書掲載のもの。
なじみの童謡がこれだけ入っているのもイギリス人のツボを突くのかもしれない。
アガサ・クリスティの「超感じの悪いおばさん描写力」が凄まじい
この作品に登場するボイル夫人はまじで強烈。
感じの悪さが異常で、よくここまで嫌なおばさんを描けるねっていうくらいアガサ・クリスティの嫌なおばさん観察力と表現力がすごい。
戯曲だからセリフしかないのに、よくここまで次から次へとボイル夫人の性格を表す嫌味なセリフを思いつくなと。すごいよ。
アガサ・クリスティが暮らしていた当時のイギリスにこういう人が実際にいたんだろうなとしか思えん。笑
他の作品にも感じの悪いおばさんはまぁ出てきますが、そのなかでも一二を争うほどの嫌味ったらしさ。自分のことは正当化しながら常に人の粗を探しては、ちょっとした不満も表さずにはいられないという人。
舞台の登場人物としては最高に個性を発揮しています。
舞台セットをイメージしながら読みたい
本書の冒頭に舞台セットの写真が白黒ですが載っていて、それがすごい素敵なの。
現在までイギリスでは続いている舞台なので、調べてみるとセットの写真もいろいろ出てくる。
戯曲を文字で読んでいるだけだと特に日本人には舞台(山荘の広間)の様子をイメージしにくいと思うんですが、アンティークっぽいテーブルやソファ、暖炉などなどのいかにもイギリスの洋館的なセットを見ると、あぁ~こんな立派な家具がある立派な山荘で起きている事件なのね、と気分が高揚する。
こちらのトレイラー動画は、セットや登場人物の雰囲気がよくわかるようにまとめられています。
うん、これはぜひ舞台で見てみたい作品。
日本でもやることはあるようですが、常に公演があるというわけではなさそうでした。次回機会があればぜひ見たいです。
『ねずみとり』ネタバレ結末と感想
里子虐待事件に関係していたのは誰か?
トロッター刑事の質問には誰も答えませんでしたが、里子の兄弟3人を冷酷非情な里親のもとに送り込んだ当時の責任者はボイル夫人でした。
そのことを少佐に指摘されたボイル夫人の態度がまた、、
「とんでもない。わたくしの責任なもんですか」
「どうしてわたくしにその里親のことがわかって?」
「公務を果たしただけなのに、非難を受けるなんて」
......。
よく考えると日本語訳も良くて、ボイル夫人の性格が見事なまでに反映されていると思う。
その後ボイル夫人は殺害されますが、ねずみはまだ二匹目。
この山荘の中に殺人犯と三人目の犠牲者がいる。トロッター刑事は再び虐待事件に関して胸に覚えのある人は申し出るよう促しますが、結局誰も名乗り出ません。
トロッター刑事はボイル夫人殺害時の状況を再現するよう宿泊客に要請します。
宿泊客がおのおの役割を与えられるなか、「三匹の盲目のねずみ」をピアノで弾くようトロッター刑事に指示されたのはモリー。
そしてトロッターは、自分は虐待を受けて死んだ里子の兄だと明かし、モリーに拳銃を突きつけるのでした。モリーは当時学校の先生で、トロッターの弟は死ぬ前にモリーにあてて助けを求める手紙を出していたのです。
(ただしモリーがその手紙を見たのは何週間も後のことだった)
トロッターは復讐のため、警察のふりをしてボイル夫人とモリーを殺しにやってきた殺人犯だったのでした。
虐待事件に関係していた人物は実はもう1人。ケースウェルも虐待事件の里子の1人で、長い間会っていなかったトロッターの姉だったのです。
トロッターが弟だと気づいたケースウェルがメトカーフ少佐に相談し、土壇場のところでモリーを救出。
お互いに疑心暗鬼になっていた若夫婦ジャイルズとモリーの仲も戻り、めでたしめでたしというお話でした。
誰が犯人なのかがまったくわからずトロッター刑事を少しも疑っていなかったところで、この刑事が犯人だったという結末には驚きました。
ボイル夫人の殺害時には自分で「三匹の盲目のねずみ」の口笛を吹き、モリーには「三匹の盲目のねずみ」を弾かせているところが演出的で、犯人が殺人を楽しんでいる様子が伺える。
途中、ジャイルズは妻モリーのロンドン行きの切符を見つけ、モリーは夫がロンドンで買ってきた新聞を見つけます。
ロンドンに行ったなんて一言も言わなかったのに、何をしに行っていたのか... 夫は殺人犯なのか? 妻はロンドンで浮気していたのか?
新婚なのに事件のせいでお互いに不信感を募らせる2人でしたが、結局2人とも結婚記念日のプレゼントをロンドンに買いに行っていたというオチ。
これも誠にサザエさん的というか朝ドラ的というか。事件解決後、最後に台所から焦げたにおいがして「まぁたいへん!」で幕にするのもそう。
この作品にも、サザエさんにも朝ドラにも、その国の人にしか伝わらないであろう微妙な「生活感」がある。
イギリス人がサザエさんや朝ドラを見ても日本人と同じ感覚は抱かないであろうのと同様に、私たちが『ねずみとり』を読んでもイギリス人が感じるツボを十分に理解できているかはわからないんだけど、「サザエさん的な良さ」と考えるとなんとなく共有できるものはある気がする。
古典的で古臭いんだけど、そういう平和さがなんか良いよねって舞台に問いかけられているような。
話としては『検察側の証人』とかのが面白いんだけど、しみじみとした深さを感じさせられる戯曲でした。