『秘密機関』ありふれた苗字の男ブラウンを突き止める|アガサ・クリスティ
アガサ・クリスティの2作目『秘密機関』。トミー&タペンスシリーズです。
幼馴染の2人のもとに舞い込んできた仕事が発端となり、謎の男ブラウンの正体と極秘文書のありかを突き止めるというストーリー。
現代においてはちょっと現実味を感じにくい話ではありますが、あまり深く考えずに登場人物たちのキャラ設定を楽しみながら読むのが良いと思う。
主人公のトミーとタペンスも20代前半と若く、物語全体に勢いがあってアガサ・クリスティの若さも伝わってくる作品だなと感じました。
目次
『秘密機関』あらすじ
第一次世界大戦後、幼馴染のトミーとタペンスは久しぶりに再会した。
戦争中、トミーは中尉として従軍。タペンスは病院や役所などで働いていたが、戦争が終わってからは2人とも仕事にありつけず日々の生活にも困る状況。
そこでなんとかお金を作ろうと、2人は会社を作って雇い主を募集することにした。
“若い冒険家二名の雇い主を求む。なんでもやります。どこにでも行きます。高報酬の仕事にかぎる。違法な申し出も可”
(すごい広告文だなオイ。笑)
すると、2人の話をカフェで聞いていたという男から仕事が舞い込む。
仕事内容はタペンスがパリの寄宿学校に入ること。タペンスは、なぜそれだけのことに100ポンドもの報酬を払うのかといぶかしむ。
トミーの仕事がなければ引き受けられないと言ってタペンスは帰ろうとするが、男に名前を聞かれてとっさに聞き覚えのある名前を口にした。
「ジェーン・フィンです」
その途端、温和な表情を浮かべていた男の態度が一変。その場は帰されたタペンスだったが、翌日トミーとともに男のオフィスを訪れるとすでにオフィスは閉鎖していた。
あの名前には裏があると踏んだ2人は真相を突きとめるべく、「ジェーン・フィンについての情報求む」と新聞広告を出す。
そして早速、2通の手紙が2人のもとに届くのだった。
戦争も終わり平和が戻ったロンドンで再会した幼なじみのトミーとタペンス。ふたりはヤング・アドベンチャラーズなる会社を設立し探偵業を始めるが、怪しげな依頼をきっかけに英国を揺るがす極秘文書争奪戦に巻き込まれてしまう。冒険また冒険の展開にふたりの運命は? 名コンビ誕生の記念碑的作品を最新訳で贈る
『秘密機関』(早川書房 クリスティー文庫)
解説:杉江松恋
『秘密機関』読みどころと感想
雇い主を新聞広告で募集するというのが面白いよね
この話は最初から突拍子もなくて面白い。
ふつう仕事を探す場合、求人広告に応募するのが一般的ですよね。雇い主が募集を出し、それに求職者が応募するという構図。
でもトミーとタペンス(というか主にタペンス)はあまりにも仕事が見つからなくて、「何でもやるから仕事ください。高報酬に限る」という募集を自分から出しちゃうんですね。
2人の再会時の会話もとにかくお金のことばかりで、今の私たちは「どんだけお金のことしか頭にないの」と思いがちなところですが、戦後の物価高や困窮で失業者が苦しんでいる世情をわかりやすく映しているのかなと。
知識も経験もない若者たちが戦後職につけず日々の暮らしにも困るという状況は、現実にあっただろうし、普通に書いたら暗い描写になるはずですが、2人のキャラのおかげで生き生きと、暗くならず、でも伝わる書き方になっていると思った。
本書解説によると、大戦中に最初の結婚をしたアガサ・クリスティの当時の生活も安定していなかったようで、失業者の困窮は他人事ではなかったとされています。
で、仕事募集の広告文を熱心に練る2人(というかタペンス)ですが、これ読みながら私は「レンタルなんもしない人」を思い出した。なんもしない人はなんもしませんが、何でも屋的な仕事を自分から募集するという意味での共通性を感じて面白いなーと思った。
当時はインターネットも Twitter もありませんが、新聞広告という媒体がちゃんとあって、ちゃんとこういう募集ができるんですね。
私もやろうかな〜などと思うくらい、この仕事募集のくだりは興味深かったです。
ありきたりな苗字で正体を隠すブラウン氏が鬼舞辻󠄀的...
トミーとタペンスは、組織の背後にいる謎の犯罪者“ブラウン”を追うことになります。
ブラウンはイギリスで多い苗字4位~6位に入るくらいありきたりな苗字。ブラウンと名乗るこの男はまったく目立たず脇役のような立場にいながら、陰で組織を支配するという男です。
日本で多い苗字を調べてみたら、田中さん・渡辺さん・伊藤さんが4~6位に当たるようです。日本でイメージすると、どこに行っても「田中」と名乗りながらその存在を常に隠している正体不明の男という感じか。
そして組織の手下たちは皆ブラウンを異常なほど恐れているんですが、このブラウンへの怯え具合は鬼舞辻󠄀無惨(鬼滅の刃)を恐れる鬼たちのよう。
ブラウンの名前を聞くだけで手下が縮み上がるなんて、ブラウン氏、普段は人間にまぎれて暮らしながら鬼たちを圧倒的な恐怖で支配する鬼舞辻とそっくりじゃないですか。。
ブラウンの恐ろしさに関して具体的な描写はなかったのですが、裏切りがあればすぐに知れ渡り、その復讐からは逃れられないのが恐ろしいということかなと理解しました。
まとめ:トミーとタペンスのその後が気になる!
トミー&タペンス、今回初めて読みましたが、2人のキャラがかなり立っていて魅力的でした。
今後この2人がどんな事件に関わっていくのか、シリーズの他作品もすごく気になる。
アガサ・クリスティというとやっぱりポアロやミス・マープルの謎解きミステリーだと思うので、スパイものは好き嫌い分かれるかなとは思うんですが、『秘密機関』はスリルありロマンスありで楽しめます。
謎解きじゃないからと敬遠せずに気楽に読んでみるのが良いと思う。
スパイものなら、「死ぬならスパイしませんか?」と勧誘する『死への旅』も面白かったです。
ネタバレ感想
この『秘密機関』はスタイルズ荘に続くアガサ・クリスティの2作目ですが、スタイルズ荘とはあまりにも趣きが違うのでそこにまずびっくり。
本書解説でも、前作とはまったく毛色が異なるために出版社が難色を示したということが書かれていました。
ポアロやミス・マープルが登場する謎解きミステリーとは異なるジャンルの作品ですが、ストーリーのなかでは2つの謎が提示されます。
- ブラウンは誰なのか?
- ジェーン・フィンが隠した極秘文書はどこにあるのか?
まずブラウンについてですが、この作品は珍しく登場人物が少なくて、ブラウンの候補はジュリアス・ハーシャイマーとエジャートン卿の2人しかいない。
ヴァンデマイヤー夫人がこの2人(のどちらか)を見てショックで気絶したこと、この2人と一緒にいるときにヴァンデマイヤー夫人が亡くなったことが主な根拠です。
ここからの絞り込みは、やや主観が入りますが私は次の理由からエジャートン卿がブラウンだろうと考えていました。
- ジュリアス・ハーシャイマーをブラウンと疑わせる描写が中盤からわかりやすすぎて、ここまでわかりやすいのはミスリードだろうと感じられた
- ブラウンがヴァンデマイヤー夫人のかつての恋人だったと考えると、年齢的に合うのはエジャートン卿
- ジュリアス・ハーシャイマーには生まれながらの善人っぽさが出ている気がする
正解はやはりブラウン=エジャートン卿。犯人探しの難易度で言えばかなり低めで、ブラウン候補がもっと多くて絞り込みが難しかったらもっと面白かったかもしれないというのはある。
ジェーン・フィンは、沈没する船の中で極秘文書を預かった女性です。
ジェーンは極秘文書を隠し、組織に誘拐されてからは数年もの間記憶喪失を装って文書のありかを隠し続けていました。
隠し場所はトミーが監禁されていた部屋の絵の中。トミーが絵を取り外していたのを見てアネット(記憶喪失のジェーンに与えられていた名前)が恐怖の表情を浮かべた描写があったので、こちらも予想しやすかった気がします。
なので犯人探しに精を出しながら入念に読むというより、監禁されたトミーがどうなるのか、おびき出されたタペンスがどうなるのかと、スピーディーな展開にスリルを感じながら読むほうが楽しめますね。
ジェーンの告白によって機密文書を見つけたあとのエジャートン卿の自白はあっけなさすぎた。
あんなに正体をつかめないブラウンだったのに、ジェーンとタペンスをまだ始末してない状況でそんなに簡単に自分から正体明かしてどうすんのよ。自分の華麗な犯行を自慢したかったのか。
結局トミーとジュリアスに現行犯で捕まえられ、青酸カリをあおるという最期。なーんか簡単すぎない?
まぁ、ジェーンとタペンスを連れて例の絵の部屋に入ったときにはトミーとジュリアスに待ち伏せされていて、その時点で負けているとは言えますが。
トミーとタペンスシリーズは今回初めてで2人の関係については予備知識なしで読んだのですが、思いのほかロマンス要素がありました。
アガサ・クリスティの作品に出てくる恋愛って、だいたい事件現場で知り合ってあっという間に結婚するっていうパターンが多いと思うんですが、この2人の場合は長い付き合いの幼馴染。
最初は友人として再会するものの、事件を通して自分の気持ちに気づくというプロセスが良かったし、新鮮味がありました。最初に読み始めたときには、最後に2人がくっつくとは思わなかった!
シリーズの他作品では夫婦として事件に関わるのかなーと思うので、そちらを読むのが楽しみです。