『魔術の殺人』魔術...とは呼べない殺人|アガサ・クリスティ
ミス・マープルの長編5作目『魔術の殺人』を読みました。
アガサ・クリスティにしてはかなり冴えない感じの作品かも。。「魔術」という言葉のイメージと物語の内容に乖離がある上に、魔術のような...というほどでもない普通に想像できちゃう犯行トリックにちょっと残念感がある。
話に即してタイトルを訳すなら魔術じゃなくて奇術や手品だろうし(とはいえ「奇術の殺人」であっても微妙だけど)、なんなら原題は "They Do It with Mirrors" なのでもっと良い邦題もありえたところ。
事件の舞台は少年院が併設された屋敷という一風変わった設定だし、手品のタネが謎解きのきっかけになるというアイデアは面白いはずなのに、、なんか、、、惜しい。
ミス・マープルの鋭い人間観察眼だけは健在です。
あらすじ・感想・ネタバレ結末をまとめました。
目次
『魔術の殺人』あらすじと登場人物
あらすじ
ミス・マープルは、寄宿学校時代の旧友ルースから「妹キャリイの家の様子がおかしい」と相談を持ちかけられる。ルースがキャリイの家を訪れた際、なんだか普通ではない、良くないことがあるという印象を受けたのだという。だが、それが具体的になんなのかはわからない。
キャリイは現在三番目の夫ルイスとともに未成年犯罪者の更生施設を運営しており、家族とともに非行少年たちに囲まれて暮らしていた。
ルースはミス・マープルに、キャリイのところへ行って様子を見てきてほしいと依頼する。
「わたしが? またどうして?」
「だって、あなたはとても鼻がききますもの。どんなときだってあなたはビクともしなかったし、最悪のことをあなたはいつも信じているから」
「最悪のことって、よく真実な場合がありますからね」
こうしてミス・マープルは、キャリイ・ルイズの邸宅ストニイゲイトにしばらく滞在することになった。
そこでキャリイと一緒に暮らしていたのは、現在の夫ルイスと娘のミルドレッド、孫のジーナとその夫ウォルター、二番目の夫の連れ子スティーヴン、ルイスの助手エドガー、キャリイの付添人ミス・ベルエヴァー。家の隣には、非行少年たちを収容する更生施設。
ミス・マープルは家の者たちと会話をしながら、この家の何がルースを不安にさせたのかと考えを巡らせる。
そしてある晩、家族の集まるホールで事件は起きた。エドガーがヒステリックにわめきちらし、閉じこもった書斎の中でルイスにピストルを突きつけたのだ。
書斎のドア越しに銃声を聞き、なす術もなく見守る家族だったがドアから出てきたルイスは無事。撃ち損なったエドガーは泣き崩れていた。
しかし皆が安心した直後、ミス・ベルエヴァーが別室で死体を発見したことを告げるのだった。
旧友の依頼で、マープルは変わり者の男と結婚したキャリイという女性の邸を訪れた。そこは非行少年ばかりを集めた少年院となっていて、異様な雰囲気が漂っていた。キャリイの夫が妄想癖の少年に命を狙われる事件が起きたのも、そんななかでだった。しかもそれと同時刻に別室では不可解な殺人事件が発生していた!
『魔術の殺人』(早川書房 クリスティー文庫)
解説:加納朋子
登場人物
『魔術の殺人』は登場人物が多い上に関係が異常に込み入っています。
なんせ主役のキャリイ・ルイズが三度も結婚していて、最初の夫の連れ子やら二番目の夫の連れ子やらが出入りする屋敷に、現在の夫・実の娘・孫(養女の娘)・孫の夫と住んでいるという。
しかも登場人物の名前が似てるんですよね... ルースとかルイスとかキャリイ・ルイズとかさ。もうちょっと別の名前にしたって良さそうなのに。エミリーでもオリビアでもいいんじゃないの? だめなの?
というわけで登場人物は以下です。
ジェーン・マープル:
探偵ずきな独身の老婦人。旧友ルースに頼まれてキャリイの家に滞在する
ルース・ヴァン・ライドック:
ミス・マープルの女学校時代の旧友。ミス・マープルに、妹キャリイの家の様子がおかしいと相談
キャリイ・ルイズ・セロコールド:
ミス・マープルの女学校時代の旧友で、ルースの妹。三度の結婚をしており、現在の夫ルイスとともにストニイゲイトで暮らしている
ルイス・セロコールド:
キャリイの現在の夫(三番目の夫)。理想主義者で未成年犯罪者の更生施設を運営。グルブランドセン協会の理事
エリック・グルブランドセン:
キャリイの最初の夫。すでに亡くなっている
クリスチャン・グルブランドセン:
エリックの連れ子(長男)。グルブランドセン協会の理事で、定期的にストニイゲイトを訪れている
ピパ:
キャリイとエリックの養女。イタリア人と結婚し、ジーナを出産した際に亡くなっている
ミルドレッド・ストレット:
キャリイとエリックの実娘。ピパが養女として迎えられた後に生まれた。大聖堂参事会員と結婚し、未亡人になってから実家であるストニイゲイトに戻ってきた
ジーナ・ハッド:
ピパの娘。アメリカ人ウォルターと結婚
ウォルター・ハッド:
ジーナの夫。アメリカで結婚したあと、イギリスのキャリイの家にジーナとともにやってきた
ジョニイ・リスタリック:
キャリイの二番目の夫。他の女と駆け落ちし、キャリイとは離婚
アレックス・リスタリック:
ジョニイの連れ子(長男)。弟スティーヴンとともにキャリイの屋敷に出入りしている
スティーヴン・リスタリック:
ジョニイの連れ子(次男)。更生施設で演劇部門の運営に携わっている
エドガー・ローソン:
妄想癖を持つ患者だったが、ルイスの助手としてストニイゲイトで暮らしている
ジュリエット・ベルエヴァー:
キャリイの付き添い人
マヴェリック博士:
精神医学者。更生施設で勤務
カリイ警部:
事件を担当する警部
レイク:
カリイ警部とともに事件を担当する部長刑事
『魔術の殺人』ネタバレ あらすじの続きと結末
あらすじの続き
エドガーが書斎でルイスにわめきちらしている間、別室ではクリスチャン・グルブランドセン(キャリイの最初の夫の息子)が殺されていました。
クリスチャンはルイスに会うため前日から屋敷に滞在しており、この騒動の直前に「手紙を書くから」と言って自室に戻っていたところを何者かに射殺されたのです。
なぜクリスチャンは殺されたのか?
ルイスは警察の取り調べに対し、「キャリイが徐々に毒殺されかかっている」とクリスチャンから打ち明けられたことを話します。実際キャリイにはリウマチや関節炎の症状が出ており、それは砒素中毒の症状にあてはまるものでした。また、キャリイが常用していた強壮剤からも砒素が確認されました。
キャリイを毒殺しようとしていた犯人が口封じのためにクリスチャンを殺したのだろうと警察は動機を推定し、容疑者探しに乗り出します。
エドガーが騒動を起こしたとき、家族の多くはホールにいました。ホールを離れたのは電灯のヒューズを直しに行ったウォルターと鍵を探しに行ったミス・ベルエヴァー。事件直後にホールにやってきたアレックスにも犯行機会があります。
ただ、その他の人間も薄暗いホールからこっそり抜け出しクリスチャンを殺しに行くことはできただろう、殺害する機会がなかったのは書斎に閉じこもっていたエドガーとルイス、ホールから一歩も出なかったキャリイ・ルイズ、そしてミス・マープルだけだと警察は考えます。
そのうちに、事件の噂が更生施設の少年たちにも広がり始めます。少年の1人アーニイは「自分は夜にこっそり外に抜け出せる」と自慢気に話し、事件の晩にも何かを見たかのようにほのめかしていました。
しかしその直後、アーニイはアレックスとともに死体となって発見されます。
犯人と動機
犯人は、エドガーとともに書斎に閉じこもっていたと思われたルイス・セロコールドでした。
ルイスは書斎の窓からテラスを渡ってクリスチャンの部屋まで行き、射殺してから書斎に戻っていたのです。
エドガーは、ルイスがクリスチャンを殺害する機会をつくるために精神障害のふりをして騒動を起こしていました。公にはなっていませんでしたが、エドガーはルイスの実の息子だったのです。
(正確には、本物の精神障害患者であるエドガーのふりをしたルイスの息子)
クリスチャン殺害の動機は信託基金の横領がバレたため。ルイスは未成年犯罪者を更生させる壮大な計画を実現するため巨額の資金を必要としており、帳簿の改ざんなどの不正な会計をしていました。
しかも、自分の運営する更生施設を卒業した少年のなかから優秀な子どもを選出し、不正な方法を指導してやらせていたという。。(更生を妨げてるじゃん...)
アーニイは何かを目撃したかのように嘘をついたために、またアレックスは事件の真相に気づいたために、殺されてしまったのでした。
クリスチャンは今回の訪問の1ヶ月前に定例理事会でストニイゲイトを訪れており、その際に横領の疑惑を抱いたようです。ルイスは勘づかれたことに気づき、クリスチャンに追求される前に殺害しようと計画を練っていた。エドガーは、クリスチャンの殺害計画のために連れてこられていたのです。
また、キャリイの姉のルースもそのときストニイゲイトに来ていました。おそらく、ルイスに疑惑を感じたクリスチャンの様子、もしくは勘づかれたことに気づいたルイスの様子から、ルースは何か不穏な雰囲気を感じ取っていたのではないかと思われます。
推理の鍵と犯行のトリック
ルイスは、クリスチャン殺害時刻にはエドガーとともに書斎に閉じこもっており、キャリイを毒殺する動機もないことから容疑からは外れていました。
ミス・マープルが謎を解くきっかけとなったのはカリイ警部の次の言葉。
幻覚は、舞台にあるのではなくて、観客の眼の中にある。
幻覚は舞台装置そのものにあるわけではない。舞台には、目には見えなくても実在する舞台裏がある。「まるで魔術師みたいですのね」とミス・マープルは思考を深めます。
この屋敷のホールを舞台に見立てると、舞台裏にはテラスがあり、書斎からは窓を通じて簡単にテラスに出ることができる構造です。そしてテラスを渡れば、すぐにクリスチャンの部屋に行くことができる。
さらに、「白鳥の少女」の魔術のトリックがミス・マープルの推理のヒントになりました。
ルイスとエドガーが書斎に閉じこもっている間、家族はドアから2人の声が聞こえるだけで実際に2人の姿を見ていたわけではありません。ルイスが書斎を抜け出しクリスチャンを殺しに行っている間、エドガーは声で1人2役を演じていたのです。
「白鳥の少女」の魔術では2人の少女が上半身担当と下半身担当にわかれて2人で1役を演じるようですが、それとは反対に、外から見ると2人の人間がいるように見えても実際は1人の人間だったのよ、という話。
また、ミス・マープルは当初からエドガー・ローソンの不自然な言動に違和感を感じていて、それも正常な人間が精神障害のふりをしていると考えれば納得というわけです。
キャリイが毒殺されかかっているというのは、犯行動機をあらぬ方向に持っていくためのルイスの作り話。強壮剤にはあとから砒素を混入しただけで、キャリイの命を狙っている人間は実際には誰もいませんでした(キャリイに関節炎があるという事実が巧みに利用されただけ)。
『魔術の殺人』感想と考察
感想:なんかノレない
なんかノレない作品でした。ストーリーも登場人物も犯行トリックも、微妙。。
まず、魔術でイメージしていた事件じゃないし、そうだとしてもトリックがもっと盛大でサプライズだったらイメージ違いなんかたぶん問題にならなかったと思うんですが、事件が起きた瞬間に「え、普通に2人のうちのどっちかが書斎を抜け出して殺しに行ったんじゃない?」ってトリックに気づいてしまった。
本に部屋の見取り図がついてるから、それが可能であることは簡単にわかります。逆に、なんで警部もミス・マープルも気づかないの? と思った。
トリックはちょっと微妙だけど話はすごく面白い『メソポタミヤの殺人』みたいな作品とも違って、登場人物にも共感できずストーリーにも入り込めないうちに話が終わってしまった。。。
関連記事:『メソポタミヤの殺人』新訳・旧訳読み比べ/アガサ・クリスティ
キャリイの理想主義者? 的な人物像も掴めなくてこの人については最初から最後まで「よくわからん」という感じだったし、ルイス・セロコールドは最初っから胡散臭くてキャリイの毒殺話も含めて発言が全部嘘くさかった。
犯人はキャリイを毒殺しようとしてる人間のはずだしルイスは書斎にいたんだから犯人であるはずがないっていうミスリードが想定されてると思うんですが、うーん、全然ミスリードされないんですよね。。
ミス・マープルまで途中段階では動機の面でルイスを容疑者から外してるし。。
これ、ポアロだったら絶対ルイスを容疑者から外さないと思うんですよ。だって書斎から簡単にクリスチャンを殺しに行けるし、毒殺話も「それはルイスが言ってるだけで何の確証もない」とか言いそうじゃない? あの疑り深いポアロなら。
これで、犯人がルイスでもエドガーでもなく別の人だったら「おぉ」と思ったと思うんですが、トリックも犯人も思った通りのものだし、全然魔術じゃないし、サプライズが何もないんだよお...。
まぁ本の感想ってそのときの自分の状況に左右されるところもあると思うので、10年後に読んだら違う感想を抱けるかもしれないですね。
原題 "They Do It with Mirrors" の意味と、もっと良い邦題を考える
この本が微妙になってしまうのは訳が原因なのではと思う部分があります。
というのも英語版の Amazon レビューが高評価だから。原書が読めたら良いのですが、読む英語力がない。。生きてる間にチャレンジできたらしよう。
少なくともタイトルはもっと良い日本語にできると思うんですが、「魔術の殺人」と一度日本語タイトルをつけてしまったらもう変えられないのかもね。
魔術って今の感覚では魔法とか呪術とか、そういう超自然的なものをイメージさせる言葉だと思います。アガサ・クリスティは『蒼ざめた馬』でそういうテーマも扱っているので、今回も普通にそうだと思った。
関連記事:『蒼ざめた馬』その意味は? 魔術で人は殺せるか~アガサ・クリスティ
今回の原題は "They Do it with Mirrors" です。
Do it with mirrors は熟語で、目の錯覚を利用して何か(特に手品)を行うこと という意味だそうです。
Do it with mirrors - Idioms by The Free Dictionary
なので日本語としては魔術じゃなくて、奇術とか手品とかそういうワードの方が絶対に良いはずです。
本文中には「あの連中のネタは鏡だよ」という表現があり、これがおそらく原題の日本語訳に近いのではと思います。この表現をタイトルに活かせば良いのではと思うのですが。
こんな案はどうでしょう。
- 種は鏡の中に
- 錯覚の殺人
- 幻覚の殺人
- 鏡の中の殺人
- 幻覚は観客の眼の中に
- 舞台裏の殺人(これ良いんじゃない!?)
とりあえず、何でも良いから魔術の殺人だけはやめて、お願いだから魔術だけは...。笑
ジーナがケイトと呼ばれたのはなぜ? ペトルチオって?
最後のエピローグで、ミス・マープルがジーナのことを「ケイト」と呼びかけたシーンがありました。
ウォルターが「ケイトじゃなくてジーナですよ」と優しく訂正しますが、ジーナは「ミス・マープルはなにもかもわかっていっているのよ! いまにあなたのことをペトルチオだなんて呼ぶから!」と言います。
これ、意味がわからなくて調べてみたのですが、シェイクスピアの戯曲『じゃじゃ馬ならし』の登場人物であるキャタリーナ(ケイト)に見立ててジーナのことを「ケイト」と呼んだんですね。
ペトルチオはケイトの婚約者。ペトルチオによってじゃじゃ馬ケイトが従順な妻に変身するというのが『じゃじゃ馬ならし』のストーリーだそうです。
『魔術の殺人』で描かれているジーナは、自分の思うがままに行動したり感情を率直に表現したりと確かにじゃじゃ馬。
ジーナとウォルターは出会って一週間で結婚した夫婦でしたが、ストニイゲイトに来てから2人の間には険悪な空気が漂っていました。
それで結末を迎える直前にはジーナはウォルターに「あなたなんか嫌い! もう離婚よ!」とか言ってたくせに、事件解決後には「あたしたち一緒にアメリカに帰るわ」なんて態度が180度変わってて、え、じゃああの言い合いはいったい何だったの? 茶番? みたいな。笑
結局、ジーナはウォルターにきちんと自分を見てほしくて浮気な態度や挑戦的な態度を取っていたっていう理解で良いんでしょうかね。まぁ、ジーナがウォルターのことを本当は大事に思っていることは本文中から読み取れるので、離婚よ! とか言ってたのは本心ではなさそうだとはわかるんですが。
それにしても事件が解決したからってジーナもウォルターも人間変わりすぎじゃない?
まぁ、じゃじゃ馬ジーナとそれをならしたウォルターを見て、ミス・マープルはシェイクスピアを思い起こしたということなんですね。
それで「ケイト」って呼び掛けていたりジーナにはその意図がすぐに理解されていたりと、現代日本の一般人には高度すぎる問答。笑 アガサ・クリスティを理解するには教養も必要なのでした。。